【掌編小説】ゆるトピア

 俺がきのうエベレスト単独登頂を成し遂げた話を熱く語っているのに、仲間の反応はすごく鈍かった。

「タイチ、おまえ話聞いてる?」
「全然聞いてない。その話、つまんないよ」

 タイチは目の前のポップアップディスプレイから、まったく目を離さずに答えた。他のふたり、カスガとミチルはハンバーガーを頬張るのに忙しいし、寝坊して自宅から参加のハルトシは画面の中でギターの練習を始めてしまった。

「単独登頂ってどうせVRじゃん。ここにいる全員、子供の頃やったし」
「だからそれを21になって初めてやったら感動したって話だろ。シカトして何見てんだ?」
「今週のジャンプ」
「えっ、きょう月曜?」

 俺の話をガン無視していたミチルは、すぐさま自分のポップアップを呼び出して「ホントだ」と嬉しそうに肩を揺らした。俺は大げさに肩をすくめて見せてから、自分のポップアップを呼び出した。目の前に浮かぶ画面の右下には”702”という数値が並んでいて、数字は黄色く点滅している。残り時間は17時間32分18秒。そろそろ何か労働しないとヤバい。

 いまは2066年。週刊少年ジャンプが無料配信される世界。

 というか、いま現在、娯楽というのものは全部無料だ。娯楽だけじゃない、俺たちが駅前のバーガースタンドで頬張ってるハンバーガーとコーラも、スーパーに並んでいる食料品も日用品も、医療も交通もライフラインも住居も全部タダ。その代わり、俺たちの労働にも直接的な対価はない。

 いまから20年前の2046年、日本政府はアメリカから5年遅れで”生活の完全無料化”を成し遂げた。2010年代後半に中国が始めた”個人信用評価システム”は世界中に広がり、個人の信用度がそのまま生活レベルとして反映される世界になった。仕組みは簡単。

 まず、人間には生まれたときに両親の信用値の平均が付与される。その後は義務教育期間に多少の変動があって(この変動のことは”内申点”と呼ばれている。語源は知らない)、俺たちは15で社会に放り出される。

 そのあとは労働や研究や創作活動でどれくらい社会に貢献してるかを常にオンライン(死語)で調査され続け、信用値に応じた規模の生活が保障されるってわけ。つまり、俺たちがやるべきなのは生活水準を落とさない程度に信用値をキープすることだけ。信用値が下がるとより低ランクの住居に引っ越さなければいけなくなるし、手に入る品物の種類と数も少なくなる。俺は先週ほとんど働いていないので、信用値を30ポイントほど落としていた。700を下回ると引っ越しだ。600ポイント台の家は6畳ワンルームらしいので行きたくない。

 昔の小説や映画では、こういう完全管理社会を”ディストピア”と呼んでいたそうだ。『1984』は俺もアーカイブで観た。絶望の未来。実際に暮らしている身からすると全然そんな感じはしないが、まぁ20世紀は”自由と平等”とかいう相反する価値観を両立させようとしていたらしいので、そのうちの”自由”が剥奪されているように感じるのだろう。俺は1日の大半を労働に費やして”カネ”とかいうものを死ぬまで稼ぎ続ける生活の方がよっぽどヤバいと思うけど。ガキの頃にポップアップ授業で”ヤチン”とか”スイドウコウネツヒ”って言葉を学んだときには「なんてセコくて悲しい世界!」と思ったものだ。

「そろそろ働くかぁ」

 俺が言うと、ポップアップでジャンプを読んでいた3人が目を上げた。ハルトシだけはギターの練習を続けている。食後のカフェオレを飲みながら、カスガが首をかしげた。僧帽筋が分かりやすく形を変える。こいつは俺たちの中でいちばんガタイがいい。

「働くって、ヨーヘイは映画作ってるんじゃなかったっけ。審査どうだったんだ?」

 ”カネ”という対価のない時代、娯楽産業はすべて審査制になっている。映像作品の場合はまずはサンプルを作り、無料で公開する。”いいね”が付いた数に応じて許可が下りるかどうかを判断され、そこから信用値を加味した制作リソースが手に入る。たとえばロケ地はどこを使えるか、車を何台使っていいか、車種はどこまでか、信用値がいくつまでの役者にアバター貸し出しを含めた出演交渉をしていいか。漫画や小説やアニメなんかは共通のアーカイブがあるので個人で大作が作れるが、実写だけは未だに審査がある。リアルワールドは大変だ。

「全然ダメ。サンプル出したら秒で削除されたから審査どころじゃない」
「どうせ放送コードに引っ掛かったんでしょ」とミチル。
「言論の自由はどこに行ったんだ?俺はただフ【ピピッ】クって言っただけだぜ」
「あ…」

 俺は青ざめてポップアップを見た。信用値が1ポイント下がって701になっている。画面の黄色はオレンジに近付いていた。ミチルが苦笑する。

「何やってんのヨーヘイ。ここ駅前だからね?」

 そうなのだ。公共の場で相応しくない言葉を使うと、音声がカットされ、信用値が下がる。いつもの仲間と一緒だから、完全に自分の部屋にいる感覚で喋ってしまった。痛恨のミス。タイチは目を閉じて首を振っている。

「そういえばこないだ配信者が、動画自体は無音にして”いいね”の数だけ放送禁止用語を叫ぶって生放送やってたよね」
「あ~、ジョージ・Aなんとかいうやつ」
「30分で信用値3000から500まで下がったって」
「500!? 500って3畳ひと間で風呂トイレ共同じゃなかったっけ」
「そう。タワマンから一気に転落だよ。ヤバいよね」

 タイチが、今度は目を開けて首を振った。

「次回の放送で500ポイント台の暮らしをレポートするって言ってたから、それも狙い通りだろ。たぶんその放送だけで1000ポイント台まで戻るだろうし」
「あ、リアタイしてたの?」
「信用値1500越えてタワマンまで行ったら住居のレベルアップで数字取るのも頭打ち。常に何か話題を提供しないと飽きられるから配信者も必死だよ」「あいつらの考えてること全然分かんねぇよな、信用値そんなに上げてもしょうがなくないか?」
「まぁ、普通の人とは向上心が違うんだよ」と、タイチが締めた。

 日本の信用値はだいたい800~1000がボリュームゾーンで、それ以上を目指すやつというのはほとんどいない。選挙で勝つには1200以上ないと見向きもしてもらえないらしいから(立候補はどんな数値でも一応可能)、必死こいて上げようとするのは政治家になりたいやつくらい。

「でもちょっとは上げる努力して欲しいよね。結婚すると家族の平均値で住居決まっちゃうしさ」

 ミチルが、カスガを横目でちらりと見る。どうやら信用値はミチルの方が上らしい。カスガは苦笑い。ふたりは先週婚姻届を出して夫婦になったばかりだ。

「そういえばヨーヘイ、こないだチャット飲みしてた北海道の子とどうなった?」
「サシ飲みルーム行ったら信用値見てフラれた」
「ほらね」
「いやあれは向こうがおかしいって。平均700台の飲み会に980の女が来たって誰ともマッチングしないっしょ」

 「980!?」とミチル。

「その子いくつ?」
「ハタチ」
「ハタチで1000手前はやばすぎでしょ」
「なんか毎日短い漫画描いてバズッてんだって。見たけど面白かったよ」
「そりゃ相手いないわ」
「でもいいよ、付き合ったら北海道に引っ越してって言われたしさぁ」
「それは厳しい」

 自発的な引っ越しは、労働の都合でない限りは信用値のマイナス要因となる。地域差別じゃなくて、別の地域に移ったら周囲からの信用が下がるって感じ。数字はどこからどこへ移っても国内なら一律で10%ダウンからやり直し。海外だと治安による。

 人間関係にも補正がかかる。連絡を取り合った時間や回数で補正がかかって上下する。たとえば俺が世界的な映画スターとマブダチになれば俺の信用値は少し上がるし、相手の信用値は少し下がる。ブロックすると影響はゼロになるが、ブロック自体にも補正がかかるのでよっぽどの事がない限り取りたくない手段である。せいぜい相手が犯罪者になった時くらい。

 みんな自分の信用値がかわいいから、極端な補正がかかるのは嫌がる傾向にある。ここにいる連中は、まぁ俺の友だちやってるくらいだから信用値700プラスマイナス100ってとこ。たぶん俺が最下位だけど。でも誰も俺を切らない。感謝。

「で、結局ヨーヘイ何の労働すんの?」
「ゴミ収集に応募したけど、人気過ぎてダメだったから治験に応募した」
「出たよ、ヨーヘイは困ったらすぐ治験」
「倉庫労働は?あれ信用値1日で3増えるんでしょ」
「カスガみたいに体力ないと弾かれるもん」
「あ~、まぁそっかぁ」

 カスガがポップアップで2杯目のカフェオレを注文しながら、思い出したように言った。

「そういえば錦糸町に有人のバーガースタンドができたらしい。応募してみたらどうだ?」
「有人!?」

 カスガ以外の全員が食い付いた。

「嘘だろ、有人って…。いったい人間がバーガースタンドで何すんの?」
「そりゃ昔の映画みたいにウェイターかウェイトレスじゃないか?」
「ハンバーガー手作りしたりして」
「うぇ、絶対食いたくねぇ」
「俺、行ったよ」

 ずっとギターを弾き続けていたハルトシが口を挟んだ。

「ほんとに!?」
「あっそうかおまえ錦糸町じゃん」
「えっ、それでどうだったの!?」

 ハルトシはギターを脇にどけながら言った。

「すごかったよ。目の前で、人間がパテを焼いて、ポテトも揚げるんだ」
「うっそだろマジかよ」
「それ、美味しいわけ?」

 ハルトシは胸まで伸びた長髪を揺らしている。毛先がバサバサで見苦しいから、そろそろ床屋に行ってほしい。

「それが、すっごく美味しかったんだ。”できたて”ってああいう事を言うんだね。なんか不思議な感じの…うまく説明できないけど、とにかく匂いが全然違うんだよ。油も…なんだろうな、みんなも一回は食べてみて欲しいな」
「へぇ~っ」
「でもそれ、配チケ(配給チケット)どんくらい持ってかれるわけ?10食分とか言わないよね」
「いや、信用値ダイレクト引き落とし。俺は3ポイントのセットを食べたよ」

ハルトシ以外の全員が絶句した。

「そ・れ・は…。えげつないな」
「カウンターの寿司屋じゃあるまいし」
「そもそも信用値800台からじゃないと入れないから、いまのヨーヘイには関係ない話」
「800!?」

 俺は耳を疑った。信用値800台からでないと入れない店ということは、そこで働くには900ポイント以上が必要ってことだ。慌てて検索をかけると、一日に稼げる信用ポイントはたったの1。治験の半分。701ポイントの俺から見たら、ここで働くのは完全に上位層の暇つぶしだ。

「却下だな」
「却下されてるのはヨーヘイでしょ」
「うるせぇ、やっぱ俺、治験行くわ」

 ポップアップの時計が12時半を告げると同時に、俺たちは立ち上がった。みんなそれぞれの労働に向かうのだ。

「んじゃ今夜どうする?」
「『ウォーデッド』の続き観たい」
「OK、7話からな」
「じゃあ19時集合で」
「シーズン6の最後までは観れるかな」
「たぶん」
「じゃあ後で」

 直接会ってランチする習慣が流行り始めたのはいつからだろう。昔はリモートワークとかいってチャットランチも多かったらしいが、AIが頭脳労働と単純作業のほとんどを代替するようになってからは、人と会うことそのものがオシャレという価値観に変わったらしい。俺たちの世代になるとオシャレもクソも、他にすることがないだけなんだけどな。

 俺はポップアップを起動したまま歩いていたが、横断歩道の手前で強制的にオフにされた。顔を上げて渡っていると、医療ドローンがなかなかのスピードで空を横切っていくのが遠くに見えた。高齢者の利用が集中するのは基本的に朝だから、誰かが大きなケガでもしたか、もしかしたら病気で倒れたのかも知れない。しかしいまは、他人の健康より自分の生活だ。さすがに600ポイント台まで落ちたら、仲間も俺と会うのをゆるやかに避けるようになるだろう。横断歩道を渡りきった俺は、治験の応募が埋まっていないことを祈りながら、ふたたびポップアップを立ち上げた。

 ここはゆるいディストピア。過去に戻りたいなんて、誰も思っていない世界だ。

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