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BRIAN ENO AMBIENT KYOTO/京都中央信用金庫 旧厚生センター/2022.6.3-8.21 感想

「家具のような音楽」と言ったのはエリック・サティだったっけ。
そこからラディカルに聴くべき対象を消去したジョン・ケージの《4'33"》が、音を聴くという構造自体を主題にする事でひとまずは「現代アート」と呼ばれるなら、
アンビエントには、たとえ極薄であれ明確に聴くべき音の対象がある。ブライアン・イーノは「音楽」の人だと思うし、それは展覧会を見た後も変わらない。
家具のような〜と言うなら、「肘掛け椅子」のような音楽だった。観客はみんな癒されている様子だったし、自分もまたそうだった。

それでも敢えて、ビジュアルアートとして作品を見てみるのも面白い。
例えば《The Ship》の、だんだん暗闇に目が慣れる感覚の変化。向かい側に人が座って、暗闇で向かい合うけど視線は暗くてわからなかった。一通り聴き終えたら歩き回って、どのスピーカーからどの音が出てるか確かめてみる。機械たちが振り分けられたパートを頑張って演奏しているようで可笑しかった。


《Face to Face》。
発想としては既視感も否めないけど、三幅対の顔の色彩の対比が意識されているようで、綺麗だった。

《Face to Face》



《Light Boxes》。
現代の礼拝堂のよう。イコンを眺める。宗教音楽としてのアンビエント(否定神学的な?)。
移り変わっていく色は、ジェームズ・タレルの《オープン・スカイ》を眺めている時の空の体験とも、ちょっと近しさを感じた。
音、光の変化、時間、パネルの厚み…と言ったモダニズムが排除したものをてんこ盛りにしたイコンだが、ここでも「オプティカルイリュージョン」だけは該当するように思われる。やっぱりねじれた概念なのだ。

《Light Boxes》



《77Million Paintings》。
まさに肘掛け椅子、なのだが、この作品の場合、みんなが心地よく見つめる先、視線が集約される一点には鉤十字の形象が潜在してないか?ファシズムの盲目さ。それに思い当たった時かなり怖かった。当然、その中心はカラッポ、空白である。

《77Million Paintings》

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