ピピロッティ・リスト:Your Eye Is My Island-あなたの眼は私の島-京都国立近代美術館2021/4/6-2021/6/13 感想(2021.6.12)
代表作含めてまとまった数の展示を見られて、とてもよかった。すごく平坦に印象をまとめると、「どぎつさ、軽やかさ、楽しさ」という感じだった。
1.作品の印象メモ(どぎつさについて)
館内に入ってすぐ、画面越しに顔を押し付ける作家本人が目に飛び込む(《Open my glade》(2000)。
画面を通り越そうと?必死な姿がどこかユーモラスな一方、コロナ禍で画面越しに分断された昨今の社会状況が何となく連想された。
(しかしこの勢いで来られると、ちょっと怖い、実際のところ、画面を通り越してまで会いに来てほしい人など限られている)。
会場入り口まで階段を登る途中、踊り場で初期作品がループ再生されている。
《I'm not the girl who misses much》(1986)。
早送りでピッチが上下し、走査線とノイズがけっこう狂気的(ジョーン・ジョナス作品のことを思い出す、影響関係もあっただろうか)。レノンとマッカートニーの楽器“ハピネス・イズ・ア・ウォーム・ガン”から、主語を女性主体に転換しているそう。フェミニズムの文脈で語られる由縁なのだと思う。そう書くとシンプルなのだけど、イメージはなかなかに強烈。
展覧会中盤、ゾーニングされた作品群もまた同様だった。
《ピッケポルノ》(1992)、《血のクリップ》(1993)、《母の兄が生まれたとき、日に焼けた窓台のそばに立つと山から梨の匂いがした》(1992)、《セクシー・サッド・アイ》(1987)。
カップルで来ていた客層は気まずくなりそう。生理的にショッキングなイメージ群だったけれど、それがあくまで当人の性にとっては“すごく身近で当たり前”のものだという、その距離感が面白かった。
2.作品の印象メモ(軽やかさについて)
こうした作品群が、社会ないし美術界のマジョリティ(白人-男性)に対して強さで対抗しようとするものだとしたら、
代表作《Sip my Ocean》(1996)と《永遠は終わった、永遠はあらゆる場所に》(1997)はもっと何か、軽さで持って撹乱する感じがした。
《永遠は〜》で路上の車の窓ガラスを割っていく、軽やかな破壊者としての女性、花。緩やかなスキップのリズム、微笑む警官、画面右側に映し出される草叢。
ビヨンセがリスペクトを込めて、自身のMV『ホールド・アップ』で引用しているらしい。ここでビヨンセが手にしていたのは金属バット。業界をタフにサバイブするビヨンセが、「強さに強さで対抗」するなら、ピピロッティ・リストは「強さを軽さで解体する」?
そして《Sip my Ocean》に至っては、男/女の間のスラッシュも分子状に融けていくような感じがする。「クールベ《世界の起源》の裏側」(註1)であるなら、観客の位置は消失点を越えた向こう側、精神分析の文脈では失われた原初の享楽の位置にあたるか?原理的に到達不可能であることは承知していても、“そのように連想が働く”ことは事実である…などと考えていると画面そのものがロールシャッハ・テストに見えてくる。
個人的に一番面白かったのは《4階から穏やかさへ向かって》(2016)。最初入った時暗室に来場者がたくさん寝転がっていて、集団催眠か、埋葬されているみたいに見えた。
当時ドゥルーズ『意味の論理学』の勉強中だったので、「表面」の動的発生のプロセスになぞらえて見ていた。
映像の視点は「表面」=水面から少し深いところを漂い、時々顔を出す。水中=物質の深層、水面=表面、空中=命題の高所。
海藻の映像を漂っていると、特異点としてセリーを収束するように思える形象や、去勢の換喩が映り込んでいる気がする。
けれど一方で、あくまでこれは映像なんだな、とも思う。体感的には水中=物質の深層でも、あくまでそれは”視覚的に”であって、安全地帯から距離をもって見ているわけで、実際の水中の感覚はもっと気持ち悪い。それは触覚から来ている。水草がまとわりつくから。
隣に見知らぬ人が寝転んできて身構える。
視覚から触覚へ。
3.作品の印象メモ(楽しさについて)
他の来場者と場を共有すること。
最後の展示室は特にそうだった。チームラボに近い感じ。ゾーニングされた作品とは一転して、デート向けか?家具に映像が投影され、来場者はそこに腰掛けたりする。
先日の京都市京セラ美術館での杉本博司展では、色は“光の受苦”(ゲーテ)という厳粛さがあったが、ピピの光はすごく軽やかに撫でてくる。
《クララ・ポルゲスは絵筆を浸した》(2020)は面白かった。油彩に描かれた山、空、湖、それぞれのレイヤーごとに異なる映像が投影される。どうやって投影しているのか気になった。「色のピアノ」なのだと作家は言う。
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一貫して視覚的な多幸感に溢れながら、フェミニズム、精神分析、リレーショナルアート、ポップミュージック、その他諸々…さすが文脈が豊富だなあという感想。楽しかったです。
【参考】
『ピピロッティ・リスト:Your Eye Is My Island-あなたの眼は私の島-』(展覧会図録)京都国立近代美術館/水戸芸術関係現代センター、2021年
註1.
長谷川祐子『破壊しに、と彼女たちは言う』東京藝術大学出版会、2017年、p.149
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