岡山芸術交流2022の思い出
10月の風が心地よかった。旧校舎の古い匂いと秋の空気が印象的だった。階段を上がると遠くから聞こえるいくつかのメロディーが重なり合っていて映像作品があるのだろうと思う。廊下に響くピアノと女の人の歌。ぎこちない日本語でドイツ人学生が歌っていた。部分的に単語が聞き取れるが、本人にとっては意味をなさない音の塊だと思われる。それでもメロディーや仕草からは親密な感じがする。近さと、他性。島袋道浩による《わけのわからないものをどうやってひきうけるか?》と題された作品。
隣室の片山真理によるインスタレーションでは、彼女の身体を模したであろう縫いぐるみが、幽霊のように本人にのしかかっていた。幽霊の指は2本あり、本人の指は5本ある。これまでのセルフポートレートによって作家の固有名と結びついてしまった身体的記号を改めてどう引き受けるか、そもそも写真に撮られるとは幽霊になることなのかもしれない、そんな問いが浮かんだ。一番近くにいる他者としての、幽霊的身体。オルゴールの音色に混じって何かが暗闇で蠢くような不穏な音が響いていた。
続くアジフ・ミアンの作品でも幽霊のイメージが持続する。サーキュレーターではためく服が、不在のものの存在感を想像させる。それがサーモグラフィーでスキャンされていて、人知れず何者かがそこに映り込んでいそうな気配がする。
隣室から聞こえるピアノの音が大きくなっている。島袋道浩による《白鳥、海へゆく》は岡山旭川の白鳥ボートに乗ってそのまま海まで冒険に行くというもの。音楽と秋風が相まってノスタルジックな空気が満ちていた。幼い記憶と結びつく白鳥ボートが海へと向かう道行きは、人生になぞらえられるようだった。川の流れは一方通行で、必死に漕げば少しくらい逆行できるかもしれないけど、白鳥は大きな流れに身を任せて進んでいた。海原だとその存在はとても小さい。でも海まで来れば、向かいたい島に向かうこともできた。
アピチャッポン・ウィーラセタクンによるインスタレーションにも白鳥ボートがあったが黒かった。時計は七時で止まっていて外光は夕方のようなオレンジ色になっている。ガラスに映った自分たちが幽霊になったみたいに思えた。“DO WE DREAM UNDER THE SAME SKY”の文字が見える。“WE”の中にたくさんの幽霊達が含まれているような気配があった。
バルバラ・サンチェス・カネの教室にも中身が空っぽの一群がいたが、外皮は固く、アジフ・ミアンのはためく衣服と対照的だった。前方で吊るしあげられた位置にいるそれは、堂々と教師のようでもあり、屠殺されたようにも見える。教室の窓から見下ろすと芝の“DO WE DREAM UNDER THE SAME SKY”がよく見えた。そこら中の落書きは誰しもが懐かしく感じられる類のもので、教室内の幽霊達に親しみを覚える。みんなどこに消えたのだろうかと思う。
校庭でティラバーニャのカレーを咀嚼して飲み込んでいると、教室の幽霊達に誘われて身体から離れていった意識が、またここに戻ってくるような感覚がした。曽根裕の滑り台を滑る時、かなり急で身体がこわばって、それで完全に身体の求心性が取り戻された。
プレシャス・オコヨモンの熊はプールに寝転がって、昨日の雨の湿り気をまだ含んでいた。頭のハチマキが運動会の思い出に結びつく。下着の股間の部分には小さなハートが刺繍してあった。幼年期、性の目覚めのようなもの。近くにある他者としての身体がまた、頭をもたげた。タイトルは《Till the Sun Notice Me》と言うらしい。太陽からは見つけられないだろう、あえて隠されていないのに、太陽からは遠すぎて、隠されているに等しい。
後楽園会場ではデヴィッド・メダラのサンド・マシーンがぎこちなく回転していた。砂の上に線を引くものと、書いた端からそれを消すもの。あるいは、線を消すものと、消した側から線を書くもの。純粋な労働。永久機関。庭園内にあった水車を目にすると、同じように何の意味もなさずに純粋に回転していた。じっと見ていると、有意味、目的から解放されて、どことなく喜ばしくなってくる。
次の展示会場に向かう道中、白鳥ボートがあった。緩やかな時間が流れている。
日が傾いてきて、池田亮司による作品が動き出していた。猛スピードで流れて処理される情報の映像と音声に圧倒されて立ち尽くした。近寄って見て見ると、ACGTの組み合わせが表示されていた。遺伝子情報。崇高なのは作品それ自体なのではなく、私たちの身体も含めた世界の方で、普段大きすぎて・小さすぎて知覚し得ないそれが、池田によるパネルを通してその一端を垣間見せている、そんな感じがした。何事も無いような穏やかな世界の裏側に、カオスに限りなく近い暴力的で膨大な流れがあるとしたら。
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