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HSPと「小さな幸せ」の研究

「えすけーぷ。」の、HSP(とても敏感な人)の当事者研究ノート。
今回は「幸せ」についての研究です。

五月の連休中、「えすけーぷ。」では
HSP(とても敏感な人)の当事者研究会 ごーるでん
と題して、毎日研究会を開催するという企画を行っていました。

そしてその最終日は、
「HSP ✖ 幸せ」
を研究テーマに設定しました。

「生きづらさ」と関連付けて話されやすいHSPですが、でもきっと一人一人の当事者の、それぞれらしい「生き方」や「幸せ」があるはず。
HSPという特性をもってこの世界に産まれたことを、希望として語るための研究がしたいという想いから、「幸せ」をテーマに選んだのですが…。

結果として今回は特に、他者からの期待や、「こうあるべき」という世間の声に影響を受けながら、それでも自分らしい「幸せ」や「生き方」を見つけようともがくHSP当事者たちの姿が垣間見える会となっていたように感じました。

以下、研究成果をまとめてみますね。

幸せのハードルが高い?

まず今回の研究会では、「私たちはしばし、本来自分が必要としている以上に、幸せのハードルを高くしすぎているかもしれない」ということが話されていました。

例えば、
・周囲から寄せられる期待に、応えられていない自分を卑下したり…。
・誰かのことと自分の現状を比較して、「マイナスの自分」に焦点を当てていたり…。
・「0か100か」のゼロヒャク思考で物事を判断してしまい、小さなことを喜んだり、楽しんだりすることが上手くできなかったり…。
・些細なことには幸せを感じにくく、気が付くと「もっともっと」と考えていたり…。

「HSPの完璧思考」ということは、当研究会でもよく話題になります。
HSP当事者特有の生真面目さであったり、世間の規範を過度に内面化し過ぎる傾向が、どうやらそれらのことを引き起こすようですね。

また、人よりもハードルを高く設定してしまっていることに、意外と自分では気づけてなかったりすることもあるようです。
ある参加者さんは、自分では普通のことをしているつもりだったけど、周囲の人に「偉いよね。そこまでみんなやってないよ」と言われて、初めて自分が人より目標を高く設定していたことに気付いたというエピソードを紹介してくれていました。


違和感にちゃんと気付く

HSPの敏感さは、周囲の環境に対する様々な“違和感”を抱かせます。
例えば、他の人が気付いていない点に自分だけが気付いていたり。異変や危険に真っ先に反応したり。

これらのことは、HSP当事者にとってはしばし思い当たる経験のあることだと思いますが…
しかし幼少期から、自分に共感や理解を示してくれる他者と出会う機会が少なかった場合、どうやら自分の“違和感”を信じる力が弱まってしまうようです。
自分が当たり前に感じていることを否定されて育つと、「もしかしてこんなこと感じてるのっておかしいのかな…?」と、段々と自分自身もその感覚を信じられなくなってくるのは、まあ当然のことと言えば当然ですね。
HSPの特性は、些細な変化や異変を人よりも敏感に察知してしまうため、それを理解できない周囲には奇異に写ってしまうのかもしれません…。

しかしこの違和感は、実は「自分の幸せ」を誰よりも敏感に教えてくれるセンサーでもあります。
ある参加者さんは「“違和感”にちゃんと気付くことが大事なのではないか」と、話してくれていました。
その方はご自身のお部屋に何となく、なにかすっきりしない、もやもやとした気持ちをずっと抱えていたそうなんですが…
ふと思い立って、お部屋の一角のずっと散らかっていた箇所を片付けてみると、とても気持ちがすっきりして、もやもやが解消されたという経験があったそうです。
後で考えると、その一角にずっと違和感を感じていた自分が居たようなのですが、でもその違和感を、片付けるその時までは上手く自覚できていなかったとのことでした。

どういう環境で、何をやっている時に、自分が落ち着いて過ごせたり、その時間を好きだと思えたり、幸せを感じることが出来るのか。
“違和感”はこれらのことを探知するためのセンサーとして使うことが出来ます。
というのも、幸せを感じる時って、きっと何も周囲に対して”違和感”を感じていない時だと思うんですよね…。

つまりここで提示されているのは、”違和感”の声に従い、警報が鳴らない方へと足を進め、自分の過ごす環境を整えていくと、恐らくその先に「幸せ」はあるのではないかという仮説ですね。
センサーに従い、発見された違和感を整えてあげること。
その小さな積み重ねが「幸せ」に繋がるのかもしれません。


村上春樹と「小確幸」

これは会の中で教えてもらったことなのですが、作家の村上春樹さんの造語に「小確幸(しょうかっこう)」というものがあるそうです
意味は読んで字の通り、「小さいけれど、確かな幸せ」のこと。
この造語は村上春樹さんの幾つかのエッセイで書かれているコアなファンの間では有名な言葉で、またさっと調べてみたところ台湾で流行語になったりもしているようです。
(余談ですが、私は村上春樹さんの本を結構読んでいるつもりだったんですけど、この言葉は知りませんでした…汗)

物事の本質を求める傾向を持ったHSPにとって、この「小確幸」を大事にする態度や姿勢は、分かりやすい流行や世間の風潮に惑わされず、より自分らしい生き方を確立することに繋がるのかもしれません。

そこで以下では、今回の研究会でお話された、参加者さんの感じる「小さな幸せ」を記載してみようと思います。
この記事を読んでいる人が「自分の幸せ」を考えるための、ひとつのヒントになったらいいなと思います。

・お菓子を美味しいと感じる時、ささやかな幸せを感じる。
・自然を見ると凄い嬉しい。「おいしい野菜たべた」「そらをみた」「おいしい空気を吸った」幸せかも。自然のあるところに住みたい。
・人と話すことが好き。でも相手がしんどそうだと、自分もしんどくなってしまう…。
・深く考えることが好き。何かを分析したり。言語化したり。
・自分は幸せのハードルが低い。今持っている幸せを、じわじわ広げることができる。これはHSPだからこそ。オタク気質で、骨董市が好き。気に入ったものを集めるのが幸せ。落ち込むことがあっても「お皿があるじゃないか」と思える。自己完結してるけど、幸せ。

「幸せ」と、自分と向き合うこと

先ほどもちらっと書きましたが…
HSP当事者は、自分自身の違和感と、周囲や環境の反応とのギャップに混乱させられることが多く、しばし自身の“違和感センサー”の発する警報を無視してしまいがちのようです。
恐らくこれは、人のまなざしに強く影響を受けたり、人の顔色を必要以上に伺ってしまう傾向に、原因の一端があるようなのですが…

つまりそれは、このマガジンでも頻出している「HSPゆえの、自分と他者との間に境界を引くことの難しさ」のことですね。
この「自他境界の難しさ」は、やはり多くのHSP当事者にとって、「生きづらさ」を生じさせるリスクのかなり高い困りごとのように思います。

しかしながら、この“違和感センサー”に注意深く耳を傾け続けることが、どうやら自分の「幸せ」を理解するためには、一見遠いように見えて、実は最も近い道であり、またそれは決して避けては通れない道でもある、ということが今回の研究会ではうっすらと見えてきたのではないでしょうか…。

それはつまり“自分自身と向き合う”ということであり、まさしく当事者研究の醍醐味でもあります。

でも一人で自分と向き合うのは、なんかちょっと疲れてしんどくなりそうな感じがありますよね…。

安心してください。
当事者研究は個人戦ではなく、集団戦であるところもその魅力の一つです。

いや研究会でもやっぱり、結局自分と向き合うことになってはいると思うのですが…(^^;
でも一人で悶々と考える感じではなくて…なんというか、こう、「研究」というスタンスで、少し自分から距離を置いて、共通している困りごとについて、みんなで向き合ってる、という感じでしょうか。
多分、一人で悶々と考えるよりは、少し楽に「自分と向き合う」が出来るのではないかと思います。

伝わっているか、良く分かりませんが…(^^;
まあとにかく、もしご興味持ったら、当研究会にぜひ一度遊びに来てみて下さいね!
(書き手:足達龍彦)

【研究者求ム!】
現在、「えすけーぷ。」のHSP当事者研究会は、
オンライン通話を使い、継続して活動しています。

次回の開催や詳細については、
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Twiiter / HP

今、不安を感じていたり、困りごとのあるHSP当事者さんの
力に少しでもなれたらと思っています。

お気軽に遊びに来てくださいね^^


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