擬態することと罪悪感(自家中毒)


最近よく考えていることは、他者に対する興味・関心について。

私はある程度のコミュニケーションが必要だと感じるまで「接客」的な当たり障りない対応しかしないのだと思う。故に他者に対する興味・関心がわくまで時間がかなりかかるのだと思う。

相手が興味・関心を向けてくれてても、失礼だと自覚しているが「ここまでしか話したくない」という気持ちになることが多い。


仕事をするようになってより顕著になった。
「私はお給料の対価として仕事をしているのに、プライベートな面の開示は必要なの?」とモヤモヤしてしまうことが多くなった。

仕事上で密に関わる方の雑談でも、つきっきりでアシスタント(ほぼ秘書みたいな扱い)で付いている上司でも「あなたのプライベートな面に興味がない」と思ってしまっている。


気持ちよく働けるように、愛想よく対応しているだけで、特段変わったコミュニケーションは取っていないと思う。

頼まれた事を希望の納期までに完遂させるために、必要な情報についてはガンガン聞いてしまったり、確認してもらうことはあるが、私から話すことは業務に関連することしかない。


確かによりどのような人であるか知っていた方が、使いやすいのかも?とは考えられるが、仕事の価値観とプライベートな事柄の価値観はイコールなのだろうか。

多分、私は一致しない。
プライベートは前回までのnoteの通りクズだし、ちゃんとしている事柄は少ない。
恋愛はしないし、結婚も自ら進んでしたいと考えたことはない。子供が欲しいとも思ったことがない。
一般的な価値観とはかけ離れてることは、ずいぶん前から知っている。

一般的な回答をするべく、擬態することはある。それは相手が求める私の姿だから。


擬態して、本心とは乖離した姿を晒して、考える。円滑なコミュニケーションとは?と。

そして相手のニーズを満たせたか考えて、罪悪感をいだく。

私の本心なんて言いたくないけど、無愛想にする必要もない。
ある程度関わりを持ったらプライベートの自己開示って、必ず必要で、進んでするものなのだろうか。

そう考えている時点で、その相手に「興味・関心がない」のであろうと思っている。


薄情だなと自覚して罪悪感をいだき、自家中毒を起こし始める。




相手との関係が上手くいっているのであれば、お互いに上部の当たり障りない対応でもいいのではないかと思う。
私も他者との違いを明確にしたい訳ではないし、平穏に過ごしたい。
擬態していることも、(罪悪感については諸々これから考えるとして…)相手が不審に思わなければそれで良いと思う。


何もかも知らせる必要はないと思いたい。
今の私はそう思っている。

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