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愛はあると言い切りたいアロマンティック

前の記事でアロマンティックの気づきや自認について文にしてみて、多かれ少なかれ愛情はあると考えてみました。

まず、前の記事でも触れていますが自認しているのはアロマンティック。
おそらくアセクシャルではない。

事実私は恋愛感情がなくても性的なことはできる。と同時に一般的でないことも理解しているから、私の理性と倫理観、価値観についてよく考えている。

ある程度の関係値があれば、私自身も相手に対して何らかの「情」は向けていると思えるし、相手から向けられる好意が恋愛感情を伴っているかについても、なるべく早く察知できるようにしているつもりはある。


この人はどうして好いてくれたのだろう

どのくらいの「好き」なのだろう

そう思ってくれていることを知らせて、どうしたいのだろう

単純に思っていることを教えてくれている姿はかわいい

要望に応えられるだろうか

同じような「好き」を求められたらどうしよう

今ここで断った場合と付き合ってみてダメだった場合、相手に与えてしまうダメージを考えるとどちらがいいだろうか


とか考えています。
書き起こすと性格が非常に悪い。

アルバイトや社会人になってからはさらに


仕事の一環としての立ち振る舞いで好かれたのだろうか、だとしたら騙してしまっているな

お客様だからどう出てこられても、今後影響のないように躱わさなきゃ

同僚だから、話が大きくなる前に対処しなきゃ

この上司は既婚者だったよな…、あの人の子供や孫っていう歳でもないよな…


とかよく考えています。
相手に対して向けられるものと、同等のもの返せないし、自分も傷付きたくないし、相手も傷付けたくない(思いとどまって欲しい)。

ここまで考えてて「情」はないとは思いたくない。


付き合ってみた場合、総じて「あなたが特別好き」を求められているように感じている。

私はまずそれが苦しくなる。
同じ「好き」が返せないから。

キスや性的なこともできるけど、苦しくなる。
同じ「好き」でもないし「あなただから」できる訳でもない。私が嫌だと思わない人とならできてしまう。

「付き合っているのだから」を向けられることが苦しくなる。
特別扱いは滅多にしないけど、多分付き合わなくても楽しく過ごせたし、優しくされたいなら優しくした、甘えも戯言と言いながら少しは相手すると思う。


何らかの「情」で付き合っても、消耗することを経験した。今度こそ「恋愛感情」がついてくるのでは、とクロージングの際に打算も含めて自己嫌悪していました。


上記までの「情」や交友関係を続けている「情」には恋愛感情はないと言い切れると思う。

安易に言葉にして語弊を招きたくはないが、私なりの「好き(お気に入り)」や「愛」は存在しているのだろうとは思う。

私なりのそれは、恋愛感情を持っている人には届くことはないのだと考えるようにしている。
それは私自身の性質がそうさせることは理解できるし、改善できることでもない。
この性質について、恋愛感情を持っている人たちに理解してほしいとも考えていない。

ひとまず今は「恋愛的」な方向の人からも「性的」な方向の人からも一線を引いて対象外にしてもらい、自衛することが、私なりの「愛情表現」になるのでないかと考え始めました。

私の理性と倫理観と価値観と愛については、まだまだ考える余地があると思うので、定期的に自分で読み直したい。

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