「鉄のピノキオ」と国葬反対

「鉄のピノキオ」を描こうと思ったきっかけは、見捨てられた人達を描きたかったからでした。
障がい者、貧者、捨て子、ダストホールに集まる彼らを、きっとちゃんとは描けてはいないが、彼らを為政者に対して反抗させたかった。
私は今回の国葬に反対でしたが、それは助けるべく人がもっといるのにその人たちに目を向けないから。沖縄の人々、カルト被害に遭っている人々、生活の苦しい低所得者、性的マイノリティの方々、障がい者、静岡の被災者たち、挙げればきりがない。その人たちにもっと税金を使ってほしいから。葬式は既にあげたのだからこの政治的イベントに税金を使う必要はない。
国葬反対派に逸脱した人がいたのは恥ずべきことだが、その人たちを見て国葬反対デモに参加した人たちを皆笑うのはやめてほしい。おかしいことにおかしいと声をあげている人たちは勇気ある人たちだと思います。先日読んだ高畑勲さんの本(「君が戦争を欲しないならば」)にもありましたが、決まったことに文句を言うな、というのは本当に危険なことです。弱者を切り捨てる政治を許してはいけない。全ての人権侵害は戦争に繋がると思っています。
ダストホールに暮らす人々は編集さんの指示もあり明るく描きましたが、本当はもっと辛い生活を余儀なくされているだろう。もっと悲惨だろう。そして現実世界の弱者の生活は想像以上だろう。弱者を思いやるのは想像力が必要。自己責任だと突き放すのは想像力の無い奴のやることだ。
ヴォルペの国のようにならない為にも、もっと弱者の為の政治をしてほしい。

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