違和感の正体
先日マニュアルを作成する案件でのこと、メンバーの原稿に「確認を行い違和感があれば、〜」と書いてある。
いやいやいや。
マニュアルで“違和感“なんて感覚値での表現はしないように修正してもらったのが、実際“違和感“ってなんなのだろうか?
例えば、作った資料のレビュー(セルフレビューも含め)などを行うということはよくあると思う。
通常は表現誤り、タイポのほか、内容の精査などを行うが、違和感に気づいて掘り下げられる人と、気づかずにスルーしてしまう人がいる。
もっと身近な例でいうと、普段近くにいる人(ご家族・職場の同僚など)が髪切ったことや、服装の傾向の違いに気づくかとかそういう類のこともそう。(相手に伝えるかどうか、うまく伝えられるかは別として)
そこの違いはなんだろうか?
違和感というのは、無意識の前提認識やあるべき姿・概念を持っており、対象とする相手に対して、何かしらのギャップ・差異を感じることではないかと思う。
身近な例話でいうと、普段の相手をどの程度認識しているか、前の状態はどうだったか記憶にとどまっていて、そことの比較ができているかということ。
なので、違和感を持って掘り下げられるかどうかは、どれだけ自分の中で対象に関するイメージを持っているかどうかによるのだと思う。
厳しめのことを言えば、普段の意識として考えられているかどうかに違いが出てくるのかと。
髪型を変えたことに気づくかどうか、普段意識して相手を観察し、記憶に留めているかどうかそういうところかもしれません。
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