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草の根1本残さない爆弾ムスメ

面倒な交渉ごとをよく任された。
上からは、求める成果を取ってこい、と言われるだけ。

相手との交渉で確実に致命傷を与える
草の根1本残さない爆弾ムスメ

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と呼ばれたことがある。
(今の時代で言えばパワハラかもな)

ある会社との交渉では、「エス子さんは外してください」と言われた。

建築基準法、消防法、各都道府県の条例、ISO、製造工程、化学物質など、何を投げても返してくる悪球打ちのようなことをしていた。

で、取締役が「できるのはエス子のみなんですわ」と笑顔でスルーした。
持ち帰るのは勝利のみ。

「ネゴシエーターとして最強やな」と同期から褒められたこともある。
男性が多い会社で、求められるのは成果のみ。

100億の金額が、わたしがもたらす結果に左右されたこともある。

ものすごい努力した。


転職したベンチャー企業では、毎月2本のプロモーションを回していた。

多い時で3件。
もちろん、求められるのは成果。

ずっと、走っていた。

周りに仕事を教えることもあったけど、忙しくてそれどころじゃなかった。

言い返しすぎて、社長からは避けられていたけど、下はすごく懐いてくれた。


色々あって、その会社を辞めることになったら、クライアントから「エス子さんいないなら、この会社に仕事依頼する意味ないね」と言われた。
嬉しいけど、それじゃ組織でいる意味がないんだよな。

辞めたあと、鬱になった子が何人かいると連絡が来た。

仕事で何でも1人で返していたけど、わたしの後は全部まとめてできる人がいないので、複数人が返事をしていた。

クライアントから「何人からも返事が来るので、1人にまとめてください」と要望が来て、そのプレッシャーを押し付けられた子が潰れた。

そこをカバーするのは、経営層である上の人たちじゃないだろうか。
そういう仕組みを組織として作るべきじゃ。

ただ、ベンチャーでそんな言い訳は無用。

社長は人を教育せず、俺はできた、普通できるだろ、の一点張り。

「あなたは田舎から成功したくて出てきた。稼げるだけ稼げますし、その分ハングリーにもなるでしょう。
でもこの子たちは雇われる選択をしてここにいます。雇った側として教える責任があります。」

でケンカもした。

もちろん、ある程度の自主性は求めるけど、何を学ぶか経営側は示してあげないといけない。

指揮者が指揮棒を振り間違えば、オーケストラは間違えるのだ。


ただ、

できなきゃいけない

できて当たり前

そう思っていたから、わたしはやったし、周りにもそれを求めていたと思う。


そのためにめちゃくちゃ努力もした。

けど、周りに強要するのは違う。


できないから、できるためにめちゃくちゃ努力した。

できない、と言えなかった。

YESしか選択肢がないと思ってた。

結果を出すこと、致命傷を与えることしか考えていなかった。


鬱になったと連絡をもらった時、わたしのせいじゃないかと思ったこともあった。

久しぶりに会った時、誰もわたしを責めなかったし、なんかお互い元気そうで安心だね、と話した。


今はもう、できないことを受け入れようと思う。

受け入れる以前に、本当にできないことが多いのだけど。
ただ、それを認めることができていないだけ。

できない自分に価値はない、と頑なに握りしめていただけ。

だいぶ手放したと思ってたのに、まだまだだった。


最近、床屋の店長から「エス子はねー、できないこと多いの。自分のこと小学3年生だと思って過ごして!これできないー!って叫んでいいよ。子どもだから、仕事できなくていいよ。毎日楽しく遊んでいていいよ。」と言われた。

そう言われて爆笑してたら、店長が高い高いしてくれた。

大人になってからの高い高い、楽しすぎ。
(そして持ち上げた店長すごすぎ!)

そのあと、店長と相撲とって遊んできた。

小学生みたいだって笑った。

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