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不思議な文化

個人として研究活動に携わっていると、既存の研究で開発された質問紙尺度を使って調査をしたい場面が出てくるのですが、そのたびに不思議に思うことがあります。

モノによっては、尺度を研究で使用するときに開発者の許可を得ることが、公開されている論文上で求められています。
学術論文として公開されているのですから、その成果として開発された手法を他の研究者が使うのは自由なのではないかと不思議に思うのです。
論文を引用するときに「あなたの論文を僕の研究で引用させてください」という許可はわざわざとらないはずです。

そのような尺度を正式に使いたいときには許可を取るようにしていますが、開発者の所属が変わっていたり、ご退職されていたり、ご逝去されていたりして連絡がとれないことがしばしばあります。
そうしたときには、その尺度はもはや使えなくなってしまうのでしょうか。

僕の知る限り、原著者に連絡が取れない場合の対応を明示した記述は見たことがありません。
もし使えないのだとしたら、実質的に引用ができない学術研究となり、過去の知見の蓄積の上に新たな知識が生み出される科学研究の方針とは、合致しなくなるように思えてしまいます。

心理学研究者の間でもSNS上にて、「本来オープンでいいと思っている」「自由に使っていいと書いているのに使用許諾を求めてくる連絡に都度対応するのが手間で困る」といった、使用許諾を求める文化に否定的な声もあります。

臨床的な尺度など、安易に使われることが懸念される種類のものがあるのはわかりますが、そこを統制するのであれば研究者個人間の許諾形式ではなく、業界団体としてライセンス化や許諾の仕組みを作るべきなのだと思います。

科学という持続的な仕組みの中に中途半端に属人性が入り込んでいる状態に見えるので、不思議な形になっているなあと思いますし、そのために研究知見の蓄積が妨げられたり、スピードが落ちたりすることは起きてほしくないなと思ったのでした。

写真は内容とは関係ありませんが、最寄りのスーパーで手に入れたシャコです。
古生物感満載の見た目がグッドです。
前脚はカマキリみたいになっているんですね。

こういうちょっとクセのある品ぞろえが気に入っていた最寄りのオオゼキが閉店することになり、悲しみに暮れています、、。

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