15秒で撃ち抜かれた心
だからそれは真実
#だからそれはクリープハイプ
クリープハイプとの思い出を綴るこの企画、書きたい気持ちと恥ずかしい気持ちとが交互に顔を出してきてついに締め切りを目前に書くことを決めた。やはり文字にして感情を、その時の気持ちを伝えないといけないことはクリープハイプから学んだこと。
出会いは10年前に遡る。
私が高校生の頃、学校終わりに祖母の家で夕ご飯を待ちながらぼーっとテレビを見ていた。「テレビの音は小さくね。」と言われていたから台所で調理する音とテレビの音が混ざっていたことを覚えている。ソファに座って、膝には当時飼っていた祖母の犬が丸くなっていて身動きが取れなかった。窓から見える夕陽とテレビを交互に見ながらただただ時間を潰していた時にあのCMが流れた。
「連れて行ってあげるから」と声が聞こえてふとテレビを見た。それは日焼け止めのCMで燦々と日の差すシュチュエーション、綺麗な女優さんが笑顔でこっちをみていた。もう一度あのCMが、あの曲が聴きたいと思って音量を上げた。数分後に再度流れた時、下の方に♪クリープハイプと書いてあるのをみて忘れないようにと心の中でクリープハイプ、クリープハイプと繰り返したのを覚えてる。
それがわたしとクリープハイプの出会い。
当時の私は携帯で調べれば出ることすら分かってないほどの若者で、携帯も持っていたけどブログを見るくらいにしか使っていなくて。ただひたすらに同じCMが流れるのを待ってたこと、今思い出すと若さ故の健気さと滑稽さが愛おしい。あの期待感と、どうしても知りたいという感情を抱いたのは初めてだった。いつだってなんとなくの流行り、家族、友人、恋人の勧めでモノに興味を持っては飽きていたわたしにとって自分の目で見て聴いて見つけた初めてのアーティストだった。
その日からMVを観たり曲を聴いては調べて、どんどん好きになっていった。刺激的な歌詞と音。聴けば聴くほど足りないもっと聴いてたいと感じる惹きつける何かがあった。ちょっとエロい歌詞に10代のわたしは心がざわざわして友達にクリープハイプって知ってる?って聞いた覚えがない。
今ならわかる、尾崎さんがクリープハイプはエロ本のようなバンドのままでいいと言ってくれる意味が。当時体感していた気持ちはそれだった。あの時のわたしに今も大好きだよって教えてあげたい。
専門学生になってすぐに世間様と向き合う時がきた。
ありきたりのテンプレ自己紹介が繰り広げられる中で、クリープハイプが好きだと初めて声に出して言った。割と多い人数の前で。メンヘラのやつ?と2.3個言葉が投げられた。その言葉は刺さって、そのくせメンヘラという言葉に馴染みも充分な理解もなかった私はすぐにちがう!って叫べなかった。
悔しくて、クリープハイプはメンヘラなんかじゃないそんな言葉以上に意味のある、人生に寄り添う曲が多いのに世間様のイメージに傷ついて戦えない自分の弱さに嫌気がさして。絶対今後人に言うもんかと心に誓った。自衛することしかできなかったから。
あれからずっと、なるべく人に言わないようにひっそりと過ごしてきた。尾崎さんがそれでいいと言ってくれるように、それに習って大人しく過ごす日々は快適で常に自分が自分でいられる空間が好きだった。
今日まで1度も家族にも恋人にも話したことはない。遠征ライブは友達と日帰り旅行に行くからと伝えて大阪京都名古屋仙台静岡福岡高知、全国どこまででも彼らが行く場所へと私も行った。親はわたしの趣味が旅行と思ってるに違いない。
仕事がうまくいかない時、得体の知れない不安で気持ちが沈んでいる時、好きって気持ちが伝えられない時、どんな時も気持ちが当てはまる曲がクリープハイプにはあってその一瞬一瞬が私にとってかけがえのない思い出。きっと1つを抜粋してこの曲の思い出が〜と書くべきなんだろうけど、どれもが愛おしく平等に大切で選べない。
この間のアリーナツアー、雨の中濡れながら聴いたライブ、初めて朝帰りして聴いた曲、前列でメンバーの顔をしっかりと観た時の夢のような現実、クリープハイプに触れた10年前、私の記憶の引き出しに綺麗に収まって傷つかない様に埃が被らないように保管されている。誰にも覗かせることのない私だけの思い出たち。
尾崎さんのライブ中に放つ言葉は、嘘がないから好きだ。大好き、愛してる、幸せにする。ファンを恋人だと思ってる。それらの言葉は決して女性ファンをワーキャーさせる為に言っているわけではない。ステージの向こう側にいるファンに、今ここにいて好きでいて、ずっとそこにいてくれてありがとうと伝えてくれているのがわかる。恋人の例えも、いい距離感でお互いを想い続ける、言いたいことばかり言い合えるわけではないところがはっきりしていて好きだ。いつか離れるかも知れないしずっとそばにいて死ぬまで一生愛していくのかもしれない不透明な未来と関係性を当てはめて呼ぶならやはり恋人が1番だと思う。
過度な煽りも、悪戯な笑顔も、話さない何もない空気も、お互いがお互いを分かり合えてるから心地よい。沈黙が沈黙ではなくその無に集中する時間になる。
コロナ禍は辛いことが多かった。だけどそれ以上にクリープハイプと私たちファンが作り上げたものが、そこにあると信じている。
恋人だから、程よい距離で。
どんなに約束をしても体調を壊したり、都合がつかなくなって会えなくなる時だってある、それは人間だからしょうがない。また会おうね、会いたいなって気持ちがその先もずっと続いていきますように。これからも約束と思い出を繰り返して、20年30年後も曲を聴きながら振り返りたい。
いつもありがとうクリープハイプ。
沢山の思い出があって、これからも積み上げていきたいからよろしくね。生きている間ずっと、わたしのつま先の先を照らしてね。
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