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講談に興味を持って、生講談に圧倒されるまで。(神田伯山 新春連続読み『天明白浪伝』)


一月末に行われた「神田伯山 新春連続読み『天明白浪伝』2023」に行ってきました。
初の生講談でその迫力と魅力を存分に味わってきたので、その感想とそもそもなんで講談に興味を持ったのかを書き留めておこうと思います。


講談をちゃんと認識したきっかけは、数年前に偶然ネタ番組で見た神田伯山(当時は神田松之丞)でした。
それまで講談というものを知らず、最初は「落語の現代版みたいな感じかな?」と眺めていたのですが、第三者視点から小説らしく語られる心地よさと、まるで今見て来たかのような迫力の話に思わず圧倒されたのを覚えてます。

しかし、当時は今よりも講談ブームの陰は薄く、どことなく伝統芸能に対する壁も感じ「しっかり講談を聴く」ことはありませんでした。


それからしばらくが経ち、テレビで見た講談に対するモチベーションも少し落ち着いてきた頃。
こんな動画がupされました。

改めて商売がうますぎると思うのですがそれは置いておいて、
この「畔倉重四郎」の連続読み動画には、テレビで初めて『講談』を知った時以上の衝撃を受けました。

まず語られる話の内容が想像以上に濃い。
・一人の男がじっくりと犯罪に染まっていく過程
・欲のままに人を利用し切り殺すその男の異常さ
・そんな男によって狂わされる人々の生き様

視点を変え、場面を変えながら次々と展開されていくそれぞれの話が、
一人の男「畔倉重四郎」へと繋がっていく様は圧巻で夢中になりました。

その上で(当然ながら)話がうますぎる。
・思わず息を飲むほどの物語を引き締める緊張感や気迫
・それとは対照に「疲れたな」という所で、すっと話の脇道へ逸れる技量
・客のテンションを長時間一定にさせない所々での笑い掴み

これらすべてが、物語に巧妙に出入りしながら行れていてまさに緩急自在といった感じでした。

端的に言うと、「ほんとに全部を同じ人間がやってる?」と思いました。


そうなると「さすがに一回は生で見ないと」となるのですが、
・独演会は東京メインで地方は年単位
・開催日時が休日とか祝日とかあまり考えず容赦ない
・そもそもチケット取れない
の三重苦で結局数年が経ちました。



というわけで、ここから「ようやくチケットが取れて初めて見に行った念願の生講談」感想です。

神田伯山 新春連続読み『天明白浪伝』

一日目の内容は『お楽しみ』。連続読みの初日は『前夜祭』という位置づけになっていて、内容も終演時間も分からないままに「観客が次の日からの連続読みへのモチベーションを上げる」という役割を担っているっぽいですね。

本題の内容はというと、誇張なしで「この一日だけでもチケット代に十分かもしれん」と思うほどでした。
この日の演目としては弟子の神田梅之丞による「長短槍試合」からスタートして、神田伯山による「三方一両損」「阿武松」「大名花屋」「浜野矩随」と大ボリュームの二時間半。

笑い話から人情噺まで幅広い5席。
普段は冷静で真面目な神田梅之丞がド派手にネタを飛ばすハプニングや、
「初めてが連続読みって楽しめるのかな?」と思ってたところを神田伯山にしっかり弄られたり、全く飽きることなく満喫できました。

帰る途中には「これでまだ1/4ってやばいかもしれん」と思っていました。


次に二日目。
この日からいよいよ連続読み「天明白浪伝」がスタート。

二日目と言えども連続読みとしては初日ということで、
「天明白浪伝」の軽い説明とともに客席を温めながらのスタートでした。(ちなみに初日欠席で二日目から参戦という人もちょろっといました)

この日も4席あり、

・徳次郎の生い立ち:義賊にして世紀の大泥棒である神道徳次郎(「天明白浪伝」の中心人物)が盗みに手を染めた瞬間を語る、コメディ調のお話。

・稲葉小僧:吉原の遊郭で女に隙を見せ眠りこけた盗人が危うく御用となり、徳次郎に泣きついて助けてもらうコメディ調の逃走劇。

・金棒お鉄:金を貸した代わりに貧乏家族の一人娘を攫おうとする性格の悪い婆さんが、トンチめいた方法で成敗されるコメディよりの日常劇。

・むささびの三次:盗みに入った屋敷で主人を殺めた義賊むささびの三次が、内縁の人妻にそのことを勘づかれ、その人妻と浮気に気づいた夫も事故で纏めて手にかけるサスペンス。

と全体的に緩く笑える雰囲気でコーディングされながらも、随所でしっかりと緊張感が走るメリハリの利いた内容でした。
初心者に優しくていいですね。


折り返し地点の三日目。

この頃には客席もすっかり講談を聴く姿勢も出来上がっているからか、
高座に上がると共に話が始まりました。

内容は、

・むささびの三次:お鉄が長を務める吉原の遊郭で御用となった三次と逃走劇と、義賊といえども悪党である三次の残虐性が垣間見えるシリアス調のお話。(三次の弟分による、三次を御用の末死へと導いたお鉄への復讐劇もあるそうだが「残酷すぎる」という理由でカットらしい)

・悪鬼の萬造:徳次郎のもとへ知らず盗みに入った下っ端盗人兄弟を中心とし、兄は徳次郎に窘められてカタギへと戻ろうとするも、弟は遊郭に絆されて恩を仇で返す、兄弟の決別が見られる話。

・首無し事件:侍に扮した徳次郎が探偵役となり、「40童貞に嫁ぐことになった若美人が式直前に家に籠もり首無し死体となった事件」を紐解く、コミカルな話。

二日目の話を広げる段階とは打って変わって、三日目はどの話もどこか運命や教訓めいた内容が多くてボリュームたっぷりです。

「むささびの三次」では、一日目の「稲葉小僧」とほぼ同じ流れで泥棒が御用となり、悪党が踏む轍はどれも同じというなんだか皮肉めいた運命を感じます。

また「悪鬼の萬造」では、
・悪党から足を洗い自ら店を構えて店員の面倒も見る兄
・そんな兄に寄生し、果ては逆恨みで兄や徳次郎を潰そうとする弟
の対比が明確で、人間の性根に対する論いのイメージを持ちますね。


四日目最終日。
一日目は「これがあと三回もあるの?やべ~」と言っていたのに、
あっという間でした。

最終日の内容は、

・八百蔵吉五郎:身分を偽り生活を送っている盗人へ、接するうちに段々惹かれていく町娘の恋模様と、咎人を愛した罪が描かれる恋愛話。

・岐阜の間違い:徳次郎による義賊らしい人助けをきっかけに、助けた人が逆に不幸に陥るといった義賊が振りまく迷惑が詰め込まれたシリアス目な一幕。(ここで初めて、義賊に対する偽善性の批判が行われたのが印象的)

・大詰め勢揃い:今まで登場した盗人+αが勢揃いし、船逃げした先の長崎での逃走劇と大往生を描いた「天明白浪伝」のエンディング。

・銭掛松(文化白浪伝):泥棒を騙して寿司を奢らせる賢くも微笑ましい少年が、大人になって炎天下に苦しむ橋上の貧乏人を見てせせら笑う橋下の小金持ちの対比に価値観を歪ませ賊へと落ちる、「天明白浪伝」から100年後の時代に生まれた賊の序章。

この日は改めて神田伯山の巧さを実感した気がします。
まず一席目の「八百蔵吉五郎」
カタギではない雰囲気を醸し出す良い男と、そんな男に惹かれていく町娘のいじらしさがありありと表現されていました。
同じ人がやってるはずなのにかっこよくて可愛いんですよね。すごい。

また三席目の「大詰め勢揃い」では初登場も合わせて7人前後の盗人が登場しますが、いまどこで誰が喋っているか、誰がどんな顔をしてるかが、
まるでそっくりそのまま見ているようにわかります。

そして最後の「銭掛松」。比較的コミカルに賊への憧れをもって墜ちていった神童徳次郎と対比させるように、真っすぐ生きて来た人間が一瞬にして絶望に飲み込まれて賊へと身を堕とす様が克明に表現されていました。
これには思わず同情しながら引くという中々芽生えない感情を抱きました。



4日通してもう大満足です。
チケット引き落とし時点では「一回の公演で13000円か。たっけえなあ」と思っていたのですが、十分に価値はあります。

とりあえず、
「講談ってなに?」という人は、是非先にあげた動画を見てください。
「行き辛いなぁ」という人は、とにかく行ってください。後悔しません。

と言いたくなるぐらいに満喫しました。

次はどこに行こうかな。
独演会か、なんなら寄席で楽しむのもいいかもしれません。
楽しみです。

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