夏の終わりはだれが決めるのか。

夏が終わった。



すべての用事がおわってビールでも飲もうかなと思い、

エレベータを降りて外に出た時、暗い空と静まる通りを眺めた瞬間、

なんとも言えない感情が胸元から胃のあたりまでもやっときた。


なんだこれ?


と、ぼけっと考えを巡らせながらスーパーに向かって歩く道中、


あぁそうかこれは高揚感だ、と思った。



何かがはじまりそうな時。そこにたどり着くまでの間に抱える期待感・焦燥感・不安感。そんなものがないまぜになったような感覚。

ざっくりいうと初めての相手とセックスすることが確定された瞬間から行為が終わるまでのあの心臓のバクバクする感じ。うん、台無し。

きっと今高揚感に包まれてるんだって思いながらスーパーで買い物を済ませ、帰り道。珍しく外で何をするでもなくそのまま煙草を吸った。

とりとめのないくだらないことを思考しながら大きく息を吸い、

こんな時間は最近なかったなぁなんて物思いに耽りそうになってたら鼻歌を超えて気持ちよくファルセット気味に熱唱する男性が遠くから歩いてくる。


おお、ごきげんやんけ。


老夫婦とすれ違うちょっと前から歌がやんだ。

歌い続けんのかーい。バレバレだったぞー。

とかしてるうちに灰も落ちきった。


ひさびさに車に乗って遠出をし、初めて地で野外ライブの雨に打たれ。


気力を振り絞ってみたら意外とこぼれおちるくらい溢れて参加した2月振りの即売会では初めて色紙イラストを描いてみたり、

そしたら行列ができて、

予想だにしてなかったからちょっと放心しちゃったり。


2ヶ月以上毎日楽しみで仕方なかった期待のアルバムをついに手に入れ、

なんどもなんども繰り返し聴いては歌詞に、曲に、想いに号泣し。



そして遂に訪れたここ最近で一番楽しみだったライブ。

わざわざ民泊を借りて、巨大スクリーンと音響を用意し、気のおけない仲間たちとわいのわいの騒ぎながら鑑賞して。


友が1年半前からずっとがんばって作り上げてきたイベントに参加して見届け、ライブをまたリピートで観て。

ふいに飛び込んだコンテンツのライブの素晴らしさを感じとり。

いよいよ感情は許容量を超えたようでした。



「夏の終わりは自分で決める」


とは、旧来の友が昔から言ってる言葉であり、

8月がおわったら。世間がそういったら。ニュースで見かけたら。

夏が終わるんじゃないんだよね。

あぁ、夏がおわったなって自分が思ったときが、終わるとき。

夏に心を奪われているから、いつでも夏には繊細になる。

今年ははっきりわかった。



たしかに2020年の夏は今日、終わったのだ。




ほんとに?

やりのことしたことない?



あるなぁ。



海を観たかった。

いや、お台場行って観たな。


花火が観たかった。

いや、ライブで観たな。


キャンプしたかった。

民泊したりしたな。


意外とやってるな。


でももっと、夏のイラストが描きたかったな。

夏の曲を歌いたかったな。

日差しにじりじりと焼かれたかったな。

大勢の熱を浴びてそわそわしたかったな。

鳥白島いきたかったな。

でもそれでいいんだな。


振り返りたくなる。後ろ髪掴みたくなる。行かないで欲しい。

いつまでも、続いて欲しい。

そんな気持ちがあるから夏はいいんだな。


来年の夏は…なんて悠長なことは言わず、

次は秋をいっぱい楽しまなきゃ。

楽しいことなんてそこら中にある。


ワクワクとトキメキを追いかけてたら、

目まぐるしくすぐに過ぎてしまうよねー毎日。


気がつけばまたすぐそこに夏がいる。



だからとりあえず、ぬるーいビールでも飲みにいこう。友と。


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