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私のマジック MTGを振り返って

 MTGはとても楽しい。

 私は十年以上MTGで遊んできたカジュアルプレイヤーだ。どこにでも存在しているような、ショップで少し遊んで帰る程度の、そんなプレイヤーだ。ふと自分の歩んだMTG歴について振り返りたくなった。

 初めてMTGを触ったのは年齢が一桁の小さい頃だった。友人の兄弟がMTGを遊んでおり、それを私達に貸してくれたのが始まりだ。コロコロコミックで切札勝負がスリヴァーを使っていたような時代、古臭いイラストと難解な英語は、子供の私を強く惹きつけた。子供の私にとって、MTGのカードは高級だったので、いつもお兄さんからコモンのカードを借りて遊んでいた。そのデッキはとても弱く、子供らしいものだったが、しかし私はそれをとても楽しんだ。

 ある日、私はデッキを落としてしまった。近場の公園に置いてきてしまったのだ。ショックを受けた私は、そのカードを急いで探しに行った。知らない年上の子供が私のデッキを見て、「このデッキ弱すぎるだろ」と笑っていた。その意味がよくわからなかった私は、そんなことはないぞと思いながら、デッキを返してもらった。コモンカードで組まれたデッキは、見つけた子供にとって無価値だったからだ。私は大好きなデッキを通して、他人からバカにされるという経験を得ることになる。

 それからしばらくは私はカードを触らなかった。多感な時期であったし、MTGよりも楽しい遊びを見つけていた。それから大学生になるまでMTGは触らなかった。

 大学生になると、TCG好きの友人が出来た。それをキッカケにマジックを遊ぶことにした。その頃は神ジェイスや石鍛冶がスタンダードを斡旋しており、荒れた環境真っただ中であった。ショップへ遊びに行くと、そこには一万円を超えるような価格で神ジェイスが置かれていた。ショップの店員に、マジックを遊ぶにはどうしたらよいのかと聞くと、神ジェイスを勧められた。神ジェイスが入っていないデッキは、デッキではないと答えた。それを聞いてバカバカしく思った私は、別の店でイベントデッキを購入して仲間達と遊んだ。それはとてもカジュアルなものだが、とても有意義な時間だった。数日カードで遊んだだけだったが、十分なものだった。

 それからしばらくして、ISDとRTRのスタンは始まった。久しく友人達とマジックを遊ぼうと誘った。とても落ち着いた環境で、楽しく遊べる時代だった。私はマジックに夢中になり、スタンのカードを集めた。俗にいうショップ大会で勝てる程度のデッキを作るようになり、とても楽しんだ。私にとって、MTGを純粋に楽しめた期間はここだろう。

 しばらくスタンダードを遊んでいたが、テーロスへのローテーションが始まっていた。友人達はカード更新による出費を嫌い、マジックを辞めた。私はマジックが好きだったが、遊ぶ相手がいなくなった。丁度その頃、ニコニコ動画でMTGの創作プレイが流行り始めていた。エターナルと呼ばれるフォーマットで創られたその動画は魅力的で、私もエターナルのデッキがほしくなった。何よりローテーションにより対戦相手がマジックを辞めないことが魅力的だった。それに仕事も始めていたのでお金もあったのでレガシーを始めることにした。

 私はヘックスメイジデプスを選択した。20/20というサイズが男らしく楽しそうだと思ったからだ。現代では有用なデッキの選択肢だが、当時はネタデッキであった。私はコピーデッキというものを嫌っていて、自分だけのデッキというものに魅力を感じた。丁度、スカイプ対戦なるものが流行りだしていて、私もその波にのった。近場でレガシーをプレイできる場所はなかったからだ。数年スカイプで対戦し続けてデッキを改良した。おかげで納得いくものが仕上がった。たくさんのデッキと対戦しながら仕上げていったので、そこそこ強いデッキが出来上がった。

 それから私は、スカイプ対戦を辞めた。カメラを通した対戦に疲れてしまった。スカイプ対戦は制約が多く、とても疲れる。リアルで対戦したかった私は、スカイプ対戦を辞めることにした。

 対戦相手を求めた私は、近所のショップを調べて遊びにいくことにした。後々知ることになるのだが、そのショップは老舗で有名な店だった。ユーザーフレンドリーな店で、競技層よりカジュアル層を集める店だった。プレイヤーの質(マナーの意味合いだ)も高く、言いたくないが私が一番マナーの悪いプレイヤーだったかもしれない。それは気を付けるようにしている今でもそうかもしれないのが嫌な所だ。

 それからそのお店で友人や知り合いが多くできることになった。まさか人生で長く付き合う友人が現れるとは思わなかった。私がマジックで感謝すべき事柄はコレだ。かけがえのない友人に出会わせてくれたことにある。そのお店は私にそのような素晴らしいものを提供してくれた。とても誇らしい仕事をしていて、私はそのお店を贔屓するようになった。

 そして私は楽しくレガシーをプレイするに至る。仕事終わりにレガシーをプレイするのが楽しみだった。夜遅くまで遊びたかった私は、近場でホテルまで取って遊んでいた。一晩遊ぶのに8000円オーバーだ。しかし私にとってそれほど魅力のあるゲームだった。

 ある日、友人からGPTに誘われた。GP京都に興味がなかった私だが、色々あってGPTに出ることになった。意外にも勝ち進み、64人規模の大会で二位になった。当時のDDは趣味デッキだったはずだ。

 それに気をよくした私は、友人に誘われるまま近隣の県へ遊びにいくことにした。しかしそこは競技プレイの場であった。友人が地域の最強プレイヤーらしい人物(結構有名な人物らしい)に私を紹介し、一戦遊びましょうという話になったので対戦することになった。対戦相手は奇跡を使っていて、私はDDだった。DDは奇跡に対してとても不利なデッキだったので、私はメイン戦をデッキ構造がバレないようにプレイして負けた。サイドボードに移ろうとした時、相手が対戦を拒否した。「貴方は弱いから対戦したくない」と遠回しに言われた形だった。私は奇跡対策をサイドボードで十全に行っており、奇跡プレイヤーの友人に練習相手にもなってもらっていた。そもそも奇跡が跋扈するGPTでも勝ち上がっているのだ。私としてはメイン戦だけでそんなセリフを言われる筋合いはないのだが、そのプレイヤーは私をどうも見下していた。おそらくメタ外といわれる変なデッキだったことが原因だろう。この話は不愉快な一日を送ったというだけで済むが、今でも思い出せる程度に私に不快感を持たせた。

 それからしばらく地元のショップで遊んでいた。それからGP京都(2015)が始まった。私はそこでサイドイベントを楽しんだ。持ち帰ったプレイマットはお気に入りだ。それにGP京都の空気はとても楽しく、色々なショップが貴重なカードを持ってきていたことに興奮した。購入予定のなかったカードを購入してしまう程だ。

 GP京都の二日目、私を衝撃が襲った。対戦が中継されていたのだが、あるプレイヤーの態度が非常に悪かった。文章にするのが躊躇われる程度の態度の悪さで、対戦相手が気の毒だった。私が友人にあのマナーの悪い奴は誰なんだと聞くと、有名なプロプレイヤーだと答えた。私はプロなんてどうでもよかったし、私のマジックにプロが関わることなんてなかった。しかしその態度を見て、マジックへの価値観が変わった。過去多くの出来事を思い出した。ジェイスを買わなければ遊べないと笑った店員、対戦を拒否した有名プレイヤー、そして悪態を吐くプロプレイヤー。競技プレイの行きつく先の一つがあの悪態だと思い知った時、私のマジックが輝きを一つ失った日だった。

 その日から、私は競技プレイヤーというものを毛嫌いするようになった。競技プレイに悪い印象が染みつき、カジュアルプレイに傾倒していった。

 それから私はEDHを遊ぶようになった。友人から誘われていて、統率者セットを購入した。カジュアルなゲームだと聞いていたからだ。私にとって不運だったのは、その中にEDHガチ勢なる人物がいて、<森林の始源体>(後に禁止される)で土地をたくさん割られた。私の統率者デッキは手も足も出ず、カードさえプレイできなかった。他のプレイヤーがリカバリーのためにそれをコピーするから、私はただの舞台装置としているだけで、ゲームに参加すらしていない。当然面白くなく、EDHは素晴らしいモノと知ることなくEDHを辞めた。時たま友人がEDHをやろうと誘ってくれるものの、楽しくない体験を思い出した私は断り続けた。私はEDHをクソゲーだと信じ込んだ。

 それからしばらくレガシーで遊んでいた私に転機が現れた。転勤になり遠くの県へ引っ越すことになった。そこはマジックが盛んではなく、私はマジックを辞めた。数年はマジックに関わらなくなったが、マジックで知り合った友人達との交流は続いていた。マジックは素晴らしいものだが、本当に素晴らしいのは、そのコミュニティの友人達と繋がれることにある。

 その後転勤から戻ってきた私は、そのショップに戻ることになる。スタンやパイオニアも始めることになった。歓迎してもらえたのはとても嬉しいことだった。勿論、私を嫌う人もいたとは思うが大したことではなかった。ショップの派閥なんて今に始まったことではないだろうし、私にはどうでもよかった。私は挨拶をして回り、私を嫌っている人を割り出した。その人物と表面上だけお付き合いすればよいのだ。同じショップにいるのにそれすらしない人がいるのは私にとって驚くべきことだったが。

 そして新しく友人が増えた。私はEDHを始めた。その友人からEDHは楽しいものだと教わり、そして夢中になった。どうしてこんなに楽しいフォーマットを遊ばなかったのか不思議な程だった。それは<森林の始源体>の楽しくないプレイ体験が原因なのだが、そのプレイをした彼が悪いのかというとそうではない。彼は彼でEDHを遊んでいて、それが私にとって不快だったという、ある種の不幸な出会いがあっただけなのだ。遊ぶレベルが合わなかっただけの話で、それはどこにでも転がっている。私に必要なものは同じレベルで遊んでくれる友人に他ならず、それを提供してくれるショップには頭が上がらない。

 それからしばらくして競技プレイヤーの友人が出来た。とあることで知り合いマジックを遊んでいることに気が付いたので、数戦対戦してみたが、私はそこで何か違うものを感じることになった。それはきっとマジックに対する姿勢だった。しばらくしてから、その人とマジックはしない方がいいと気づいた。勿論、その人はプレイマナーもよく気の利いた人物である。しかし私のプレイを不快に感じていたと思った。それはメタ外であるとか、地雷デッキであるとか、そういったものである。それは誰が悪いわけでもなく、えてして言えば私が悪いのであるが、カジュアルプレイヤーと競技プレイヤーはソリが絶対に合わないのだと思わされた。ちなみにその友人が大会で結果を残した時は自分のことのように嬉しかったし、いっぱいお祝いをした。今ではマジック以外で交流している。

 私はスタンとパイオニアを辞めることにした。それは競技の世界なのだと思ったからだ。そしてカジュアルに遊べるレガシーとEDHを続けていこうと思った。

 書いていて気付いたが、私はマジックでたくさんの失敗をしている。対戦相手を不快にさせたこともあっただろうし、良くないこともしていたかもしれない。おそらく競技プレイヤーと遊んだり仲良くしようとしたことも間違えの一つだ。私がその世界に足を踏み入れてはいけないプレイヤーであったことが原因で、お互い不快になるからすみ分けるべきだったという救いのない話でもある。

 私は良いプレイヤーだったと言う気はない。私はどこにでもいるようなただのプレイヤーだ。しかし良いプレイヤーでありたいと願ってきた。良いプレイヤーというのは、紳士的であるという意味である。当たり前のようでなかなか難しいことだ。

 話が脱線してしまったが、私にとってマジックとは、大事な友人を作ってくれたコミュニティだ。そして人間関係の多くを学ばせてくれた。私は人生において多くの間違いを犯したが、それを反省する機会を得た。マジックはそれらを私に提供した。

 私のマジック歴を振り返ると以上だ。スタンもパイオニアもモダンもレガシーもEDHも変なルールも遊んだ。嫌な思い出も良い思い出もあって、それはすべて私のものだ。

 そしてこれからもマジックを遊んでいきたいと願ってしまう。ただそれは少し難しくなってきたように思う。

 それは私がマジックから切り捨てられるべきプレイヤーであるという点だ。エターナルは、おそらく小さなショップに利益をもたらさない。それに新しいゲームを遊ばない私は、鼻つまみ者だ。さらにマジックは新しく生まれ変わろうとしているのもそうだ。

 例えばアリーナだ。プレイヤーはインターネットで遊ぶようになった。私は古臭い人間で、紙で遊びたいと考えるし、イコリアのデジタル前提のシステムにはついていけそうにもない。それは適応しようと思わない私が悪い。

 それに私が愛したレガシーですら、近頃は競技フォーマットとみなされ始めている。それが私は嫌だ。レガシーとはカジュアルフォーマットだったはずなのだが、近年はそうでもないらしい。みな、如何に勝利するかを語っている。私はそんなことより、対戦相手の好きなカードを聴きたいのに。

 きっと私のような時代遅れのプレイヤーは、こうして取り残されていくのだろうと、寂しさを感じてしまう。ただただ、顔を突き合わせて下らないデッキで遊ぶということは少なくなっていくのだろうなと。これからのマジックを考えると、それがとても寂しい。


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