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小説が書きたい。 小説が書きたかった、ずっと。 読んでいてワクワクするような小説が書きたかった。 私が本を読んで味わうあの高揚感を人にも抱かせたかった。 読む時にこんなに楽しいのなら、書くのはもっと楽しいに違いないと信じていた。 しかし、私はまだ小説を書いたことがない。 書こうとしたことは何度もあった。 でも、忙しかったり、話の展開が思いつかなかったり、後回しにしたりしていたら一つも完成しなかった。 私は、こういう話を書きたい、と思ったことがない。 小説を書いてみたい
お久しぶりです。note開くのいつぶりだろう。 おっさんずラブの映画を見てきました。 いやあ、凄かった。素晴らしすぎた。素敵すぎた。 もうとにかく良いところを書き連ねたい。というわけでここからネタバレありです。見てない人は 「エンドロール後も映画館が明るくなるまで絶対に帰らない」事だけ頭に叩き込んで映画館へ向かってください。損はさせない。絶対に。 さて。はあ、もうどっから書いたらいいんだろう。 この映画って、端的に言って春田と牧が結婚する話だと思ってるんですけど。(
「世の中にはねえ、自分のことを変わってると思ったことがない人も沢山いるのよ。」 えええええええええ。 それって今までの人生生き抜くスキル高すぎじゃありませんか。 そしてこれからの人生を生き抜くスキル低すぎじゃありませんか。 ――――――――――――――――――――― 冒頭の言葉は、先日 「なんでみんな他の人も自分と同じように考えるはず!と思い込むんだろう。私そういう風に思わないからわからないよ」 と言ったら母から出た一言。 私にとっては、ものすごい衝撃だった。 10
最近よく聞く「自己責任論」について調べてみた。 様々な意見がネットに溢れていたが、大体はこういうことだと私は判断した。 「ダメだって言われてることをやった人は助ける必要はない」 自己責任論とはこういう考え方を言うらしい。 えーーー。超センスねぇな。最初の私の感想がこれだった。 津波で避難勧告出されてる地域にいた人は税金を使って助けなくていいの? 犯罪者の更生に使われる税金は無駄ですか? でもこれ、なかなかに炎上するためのポイントを突いている主張だ。 自己責任論は、
ずっと、他人に興味がないんだと思ってた。 誰が何をしていようと私をどう思っていようと私が知らない限りどうでもいいタイプだし。 もちろん、「あなたって嫌な人ね」と言われたら落ち込むけれども。 何か感想を求められたら、そこから言葉を紡ぐし、分析して、と言われたらいくらでも対象の特徴が見えてくる。 でも自発的に「こういう人なんだ」と思うことはあまりない。 言われない感情は存在しないものと同義だと思っていたし、「他人の目」なんて気にならないタイプなんだと思ってた。 最近、違う
ドラマ「大恋愛」を見ていた。 戸田恵梨香演じる尚が「私、甘いこと言う人好きじゃないんで。」と言うシーンがあった。 そのあと松岡くん演じる婚約者が美術館の絵を尚に似ていると言うシーンで、私の父がテレビを見ながら 「甘いこと言ってるじゃんね」 と言った。 「甘いとキザはちがうんだよ!」言ったら、母は納得してくれたが父はいまいちわからなかったようだった。 あまーい台詞はげんなりしてしまうけれどキザったらしい台詞に意外と撃ち抜かれちゃう女は多いのよ!わかってよ! 『オンナ
ガラス瓶の中に想いを詰め込んだ。 慈しむように、そっと。 たったそれだけのことなのに、人は私を「狂ってる」「サイコパスだ」と言う。 何故だ? 数少ない友人との会話を思い出す。 「“想い”って好きになれるものと好きになれないものがあるよな」 「まあ、そうだな」 「なんだ、珍しく共感してるじゃねえか」 「俺もお前がまともなことを言いだしてびっくりしてるよ」 「お前も“想い”について悩んだりするのか?」 「ときどきね。なんか、同じ“想い”でも、すごく大切にしたい時と、急に手
目の前で揺れる百合を眺める。百合の花が咲く、その瞬間を私は見たことがない。否、そんな瞬間は存在しない。 虹の根元には幸せがあると言われても、決して虹の根元にはたどり着けないように。 たしか、そんなことを考えてあなたに虹の話をしたのだと思う。 子供の頃、虹を見つけては幸せがあると言われる麓を目指して走り回り、なぜかいつもたどり着けない、と思ってきたがそもそも虹の根元は存在しないらしい。遠くじゃなきゃ虹は認識できない上、空から見たら虹は円形なのだという。 世界には二通りの人が
「自分を愛せるようになりたい」と言う人がいる。 彼らは「愛がわからないんだ」「他人も満足に愛せない」「人として何かが欠落しているんだ」と言う。 私自身はこの思いを抱いたことがないが、私が見た限り、このセリフを言う人は皆驚くほど愛に溢れている。 多分、彼らはいきなりマックスの愛を注げる人種なんじゃないかと思う。 相手を警戒していようと、憎んでいようと、警戒や憎しみと同時に無償の愛を注げる人。 「愛せない」のではなく「愛を育てられない」人。 目の前にいる相手にいきなり究極
さっきー中学聖日記出るの!!!!!おめでとう!!!!!!!もっと多くの人が中山咲月の魅力に気づきますように!
例えば、アイドルに「ファンのみんなも毎日大変だよね」と言われて素直に受け取れますか? 例えば、アイドルが普段は一般人と特に変わらない生活を送っていると聞いて安心しますか? 聞き方で勘付いてしまった人もいるかもしれませんが、わたしはこう言った言動を素直に受け取れないタチです。 その理由として、まず単純に自分よりスペックがはるかに高く、日々華やかな世界で自分とはかけ離れた生活を送っているだろう人にそんなことを言われても信じられない、というのが1つ。 我ながら、なんて可愛げ
タイトルにも入れましたが、自分は芸術家だと思ったことがある人は読まないでください。 これは芸術家宛ての文章ではないです。 むしろ怒られる気しかしない。 これ以降を読んでいるあなたは「芸術家ではない」ものとして話を進めます。 それでは本題。 あなたには生き方を尊敬できる芸術家はいますか? 私には好きな芸術家はたくさんいますが、その誰もが「普通の」生活をしていませんでした(或いはしていません)。 だから誰一人として生き方を尊敬してはいないし、出会えたとしても友達にはなりたく
友達との会話でひょんなことから「相手に誤解を与えていないか」と言う話になり、私が友達に 「あなたはどちらかというと、自分のことを他人に理解してもらいたいと思ってないでしょ」 と言ったら、彼女は確かにこう言ったのだ。 「人に理解されたいと思ってないってことを、わかっていてもらえて嬉しい」と。 その時は「そっか」とだけ言ったのだけれど、彼女の要求は実はとても難しい。 “彼女の理解者”となるには、 彼女がどういう人であるか、つまり「who she is」 は理解してはい
先日、知人のコンサートに行った。彼女とは5年くらいの知り合いであり、今回が1つの節目のコンサートでもあったので、なんだか感慨深いと思いながら聴きに行った。 今回の曲は彼女の友達が書いてくれたらしい。 どんな仕上がりになっているのだろうか。 演奏が始まり、いざ音を聴いて、 ああ、そう来たか、と思った。 わたしは彼女を、彼女の演奏を前から知っていたからそう思ったのかもしれないが、 「それをそうしたのね!」と、はっとさせられた。 その演奏は、 彼女の去年まであった気負いや責
嵐の「wanna be...」という曲を知っていますか? 「迷宮ラブソング」の通常盤のカップリングとして収録されている曲です。 この曲を知っている人にお尋ねしたいのですが、歌われている“君”ってめっちゃ翔くんじゃないですか? 歌っている側の「僕」ではなく、歌われている方。 この案件ずっと書きたかったんですけどタイミング見失っていて、先日「嵐コンサート会議中!?」でカップリングを一通り聞いて思い出したので書いておきます。 まず、イントロで二小節明るい旋律が流れたと思っ
熱愛相手を批判する人って、熱愛によって自担やそのグループが終わるかもしれないと思ってるのか。これは新しい発見。 私は自担がより幸せになるだけだろうと思ってたし批判する人は単なる嫉妬かと思ってた。 いろんな考え方をする人がいるんだなあ。