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黒人女性による「アフロゴス」試論――Leila Taylor『Darkly』と「黒の衝撃」

ゴスはメインストリームへの反抗、はぐれ者との自己同一化、盲目的な楽観主義への懐疑を、メメント・モリ的手法で表象する。それは前向きで退屈な覇権的文化にとってはメロドラマ的生命(エラン)となる。ゴスは単なるファッションではなく、それは感受性であり、いわばゴシック・パースペクティヴなのである。……では〈アフロゴス〉のようなものはあるだろうか?
リーラ・テイラー『ダークリー』(20ページ)

ぼくが2019年末に『ゴシック・カルチャー入門』(Pヴァイン)を出したのとほぼ同タイミングで、Leila Taylor, Darkly: Black History and America’s Gothic Soul (Repeater Books)が刊行された。黒人女性のゴス論で、ぼくと同じく彼女も初単著とのこと。ゴスの「黒」からアフロの「黒」へというルートをうっすら考えていた身としては、まさに時宜を得たりという感じ。ようやく時間が取れて読了できたので、本書が与えた「黒の衝撃」を以下お伝えできればと思います。

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ゴス的(GOTH-ISH)

著者はLeilaと書いて「リーラ」と読むらしく、アラビア語で「闇」を意味するという。父が建築家で母が人類学者ということからも分かるように、黒人都市デトロイトに暮らしているなかでは比較的裕福で、彼女は「中産階級」と自身を位置づけている。また「白人文化たるゴスカルチャーを愛好する黒人」であることから、リーラは何度もアイデンティティ・クライシスを迎えたという。例えば以下のような。

マーク・フィッシャーはスージー・スーの見た目を「複製可能な化粧の仮面、白人部族主義の一形態」と呼んでいる。私は決して白人にはなりたくなかったし、白人性は私の欲するものではなかった。私は自身をこの部族の一員と考えたが、その仮面は私に適合するものではなかった。白状すると、私はときどき自分がブラキュラ的存在に感じられるのです――つまり白人の物語の黒人版(12ページ)

 YWCAのサマーキャンプに参加した時などは「オレオ」と呼ばれ、白人のように話し、金持ちのようにふるまう奴としてからかわれる。そして以下のような自己認識に至る。「それは私の文化内でカルチャーショックを感じた初めての体験で、私の黒人性はどういうわけか充分に黒人的ではない、間違った音楽を聴き、間違ったものを好んでいる奴と評価されたのだ。私は自分が消費しているものによって階級や人種が決定されるのだという、商品化されたアイデンティティ・クライシスに打ちのめされた」(15ページ)
 こうした「不適材不適所」的な感覚は本書の通奏低音のようになっているが、そうしたこともあってか、彼女のゴス観には一歩引いたようなメタ視点、ゴスを「キャンプ」として捉える視座が存在する。

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