魂の形を知りたい。

世界は私を否定するために存在しているんだと思っていた。

人に優しく、自分に厳しく、他人に迷惑はかけず、謙虚さを忘れず、驕ることなかれと、道徳で習った。

誰も自分を大切にしなさいと教えてくれなかった。

祖父母は敬うものだったし、父の言う事には従うものだったし、母は助けるものだったし、弟妹は守るものだった。

誰も自分の意志を通してもいいとは教えてくれなかった。

そんな典型的な、他人にとって都合のいい子に育った私は、見事にろくでもない男にひっかかり、ただでさえ低かった自尊心や自己評価はドブに捨てられた。

笑った顔が気持ち悪いと、声が気持ち悪いと、話し方が不気味だと、身体が醜いと、足音が耳障りだと、料理が不味いと、要領も悪いし仕事も遅いし寝顔も気持ち悪い

粉々にされた私という魂を綺麗な丸にしないとと、毎日泣きながら過ごしていたけど、どれだけ努力しても綺麗な丸にはならなかったし、それが正しいのかもわからなかった。

せめて元の形に戻さないと誰にも愛してもらえない、こんなぐちゃぐちゃじゃ誰も触れようとしてくれない、触れたら怪我をしてしまうかもしれないと、両手を血だらけにしながら正解のわからないパズルを延々と組み立てていた。

でも、縄で縛られて、私の形が少しわかった気がした。
ずっと知りたかった私の魂の形は、歪で全然丸くなかった。
でも、私の形をしていると、何故か強烈に理解できた。

魂と身体がリンクしていくのがわかった。

誰も私を否定しない場所で、自分の事を愛していいという意味を学んだ。
美徳というものは、同じレベルの美徳を持った人同士でなければ正しく機能しない事を知った。

私は売れるほど媚を持っていない。
気高く生きようと、それを心掛けようと決めた。
今までの努力は絶対に裏切らないという自信があった。
だって、私はいつだって目標に向かって真っ直ぐがむしゃらに、ストイックにやってきたもん。

発狂してしまいそうな夜も、タオルを噛んで今この瞬間を凌げば、凌げさえすれば、諦めなくて良かったと涙する日が来るとそれだけを唱えて堪えた。

これからも色んな辛い事が、嫌な事が、悲しい事が、それこそ死ぬまで続くんだろう。

それでも、やっぱり諦めなくて良かったと泣ける日が来るんだよ。

じんわりと心が温かくなって、あの日の私を抱き締めながら、諦めなくて良かったねって、泣いて笑える日が。

私の魂の形は、歪で美しいから。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?