鴨長明版「君たちはどう生きるか」

『君たちはどう生きるか』、読みましたか?

ぼくは去年の11月くらいに、自らに課した「岩波文庫を制覇しようキャンペーン」なる謎の読書週間で読みました。

ここに感想を書くと長いので、「面白かった!」と語彙力の欠片もない言葉を残しておきます。

本題は、この本の著者である吉野源三郎さんです。吉野さんは、岩波新書の創設に携わったり、月刊誌『世界』の初代編集長を務めたり、戦後日本の出版業界を支えた偉い人です。

吉野さんの評論集『人間を信じる』(岩波現在文庫)を読んでいるとき、気になる一文を見つけたんです。

「現実とは、現状を突き破って前進しようとする力と、これを保持しようとする力との相克を常に内臓することによって、生きた現実となる。」

なぜ、この一文が気になったかというと、全く別の時代の或る僧侶が頭に浮かんだからです。

そう、タイトルにあるように「鴨長明」です。『方丈記』や『無名抄』を書いた人物です。

長明は、平安末期に生きた人です。

この「平安末期」って、本当に、本当にどうしようもない時代なんです。

大火、地震、大風、飢えのような天災で人間がバッタバッタと死んでいき、権力争いで血で血を洗うような戦いが繰り広げられていました。一方で、時の平安朝の貴族たちは、そんなことお構いなし。藤原定家から言わせてみれば、「そんなことより歌だよ、歌、歌詠もうぜ!」ってな感じです。閉鎖空間としての朝廷文化が栄華を極めていました。

絶対にこの時代に生まれたくないです(笑)

さて、この長明が生きた平安末期ですが、先ほど引用した吉野さんの一文に当てはめながら考えると、スッと腹に落ちるものがあるんです。

まず、「現状を突き破って前進しようとする力」をA、「保持しようとする力」をBとすると、A+B=生きた現実、という簡便な方程式を拵えることができます。

こう考えると、平安末期において、数値としてのAとBは、どうなるでしょう?

天災で仕事や生活どころでない、権力のための戦争ばかり、Aの数値はとても低い。朝廷は、保持どころか、そもそも社会情勢をガン無視、Bの数値も低い。

となると、A、Bともに数値が低い。これは、「死んだ現実」と言えるのではないでしょうか?長明は、こうした状況を一概して、「無常観」と名付けたんだと考えています。

あの一文に出会ったとき、こうした考えがふと思い浮かんだのでした。

おしまい。







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