『読書について』 小林秀雄

なぜこの本を読んだかと言うと、『美を求める心』という章に惹かれたからです。東京に来てから、よく美術館に行っています。絵画をジッと見るのですが、どう見たら良いのかは全く分かりません。これはマズイと思い、この本を手に取りました。

■美を求める心

美を求める心とは、モノの美しい姿を求める心である。美しいものには、美しい姿がある。クリエイターは、対象を目で、耳で、心で、じっくり観察する。ゴッホは『ひまわり』を描くために、目の前のひまわりを何千何万回と見ました。そうすることで、私たちが普段見ることも気づくこともない細部をクリエイターは見ることができるのです。「見ること」の積み重ねが凝縮された絵や音や言葉は、対象を「美しい姿」で映し出します。見る側にとっては、生半可な態度で作品に対しても、何も「見えてこない」のです。それは、私たちが普段見えていないものを見ているのであり、見慣れぬものなのです。ならどうするか。たくさん見て、聴いて、読みましょう。そのとき先に知識を入れない方が良いです。先に知識を得ると、分かった気になって、対象に見切りをつけてしまうからです。見るために見て、聴くために聴く、そうした純粋な観察眼を働かせることで、モノの美しい姿が浮かび上がってくるのです。

■読書について

小説を読むと言っても、読んでいる間、自分を空っぽにして、小説世界を自らの内に垂れ流し続けるような読書は、子どもの読書です。それはただ好奇心に支えられた読書であり、年とともに社会を知り現実を知って好奇心が衰退すると、本を読まなくなるでしょう。

本当の読書とは、内容を常に自らと照らし合わせる読書です。小説であれば「自分ならどう考えたか/行動したか」と想像を巡らせ、思想書であれば「自分の経験をどう解釈するか」と判断するのです。そうして本を追体験することで、自らの経験に落とし込み、深い洞察を得ることが、何にも代え難い読書の楽しみとなるでしょう。

■教養について

教養とは、人の口の話し方や身振り手振りに自然に現れる言い難い性質、特徴です。だから、人に見せびらかしたり、自慢するものではないのです。

では教養を身につけるにはどうしたらいいのでしょう?それは、最初にお話したように、たくさん見て、聴いて、読むことです。教養が、自分の内側から引き出される反応ならば、色んな絵画や音楽、小説から引き出される自分の反応の積み重ねが教養となるのでしょう。最初は出来るだけ選り好みせず、作品をありのままに享受しましょう。教養が固まってくると、「自分が何が好きで、何が嫌いか」自分の気質が分かってきます。その気質を理解した上で「趣味」というものが現れるでしょう。最初から選り好みしては偏った偏屈な人間になるので、なるべくオープンな状態から始め、段々と自分の気質・趣味に迫っていくことが自然な流れです。

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