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ものすごくしんどい日々の駄文

はじめて精神科を受診した。

ずっと苦しかったけど、最近仕事を進めるのにとても時間がかかってしまったり、打ち合わせで喉がカラカラになって言葉が出なくて頭が真っ白になったりするので、調べてみたら「適応障害」っていうやつみたいだったから、病院に行ったら少しは楽になるのではないかと思って行ってみた。

結果としては、診察の前に話を聞いてくれたソーシャルワーカーさんはめちゃ優しくて、話しててちょっと泣いてしまったんだけど、
お医者さんの方はちょっと冷たそうで、淡々と病名と(やっぱり適応障害って言われた)薬のことと、それから診断書を出しますと言われた。
2週間休んでくださいって言われたけど、わたしそんなに悪いの??仕事どうしよう、どう言おうって頭がいっぱいになって逆に具合悪くなっちゃった。

家に帰って何もやる気起きなくてだるくてずっと寝てたら頭痛くなって、外出たら少しマシになるかもと銭湯行ってきた。

でもやっぱり熱いお湯浴びてたら頭ガンガンしてきてお湯はちょっとだけ浸かって上がってしまった。

その銭湯の昔からある建物の感じと、無造作に脱衣所に置かれた植物と、ラタンのカゴを見て、おばあちゃんの家を思い出した。
おばあちゃんは、わたしが浪人してる年に亡くなってからもうすぐ10年になる。
そのあとすぐにおじいちゃんも亡くなって、おばあちゃんとおじいちゃんの家には誰もいなくなった。

でもおばあちゃんとおじいちゃんのその家には、わたしの幸せな記憶が詰まっていて、忘れたくなかったし、ときどきその空き家を訪れておばあちゃんとおじいちゃんにお線香をあげたりしていた。

今年の夏に、同じようにその家に行ってみたら、跡形もなく家が消えていた。
わたしが知らないうちに話が進んで、従姉妹がその土地に家を建てることになったらしい。

かなり傷んでいたし、仕方ないとは思いつつも、写真を撮っておけばよかったとか思って少し悲しかった。
今はまだ、その家のいろんな部分を思い出せるけれど、いつかその記憶が薄れていってしまうのが怖かった。

わたしはしんどいとき、なぜかいつもおばあちゃんを思い出す。
おばあちゃんは、いつもわたしに会うと力いっぱい抱きしめてくれて、わたしを否定することは一度もなかったし、亡くなる直前も浪人してるわたしをずっと心配してくれていた。

おばあちゃんが亡くなってわたしが大学生になって、おばあちゃんからのお年玉とかを貯めていた箱の中から、まだ開けていない包みが出てきたことがあった。
いつかのクリスマスにもらったのであろう雪だるまの柄が描かれている包みには「てりちゃんのもとにたくさんの幸せが降ってきますように」と書いてあった。
そのときもすごく辛かったわたしは、その文字を見てわんわん泣いた記憶がある。

なかなか幸せになるのは難しいと感じるけど、おばあちゃんがわたしを大事にしてくれたみたいに、わたしはわたしを大事にして、わたしは幸せだよっておばあちゃんにお返事を書きたい。

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