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『どうする家康』を10倍楽しく見るために

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これからますます盛り上がる大河ドラマ『どうする家康』をもっともっと楽しく見るために、徳川家康や織田信長に関する記事をまとめました。お城の情報や関連書籍のご紹介が満載です。以後も随…
記事はこれからも随時更新していきます。ある程度、記事の数がまとまったところで値上げする予定でいます…
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#旅のフォトアルバム

【写真館251】ここにいるよ

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【写真館249】城の戦略

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【写真館248】バク宙の最中

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【写真館247】元祖、天下御免の傾奇者

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【写真館245】花を手向ける

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【写真館244】南蛮甲冑

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【写真館243】ですよね(笑)

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【信長公探訪記】信長公廟をめぐる旅/本能寺、阿弥陀寺

前回の記事で、実際に本能寺の変の起きた「本能寺跡」を紹介しました。記事にも書いたように、その後、後継者となった豊臣秀吉公の都市計画により、本能寺は現在の場所への移転を命じられます。 以前、伺ったことはあるのですが、今回せっかく信長公の京都での足跡を辿る旅に出ましたから、現在の本能寺へも訪れることにしました。

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【信長公探訪記】ふたつの本能寺

天正10年(1582年)6月2日未明、京都本能寺において織田信長公は明智光秀による謀反に遭い、その未来を突然に断ち切られます。本能寺の変です。 7月の終わりに、大河ドラマ『どうする家康』でも1話をかけて描写されました。あの有名な台詞「是非もなし」や敦盛といった定番の劇的要素を入れずに描いたことで、かえって、より印象に残るドラマになっていたのではないでしょうか。 さて。 その現場となった「本能寺」は、現在、京都市中京区寺町通にあります。ですが、これは信長公逝去後、豊臣秀吉

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■駆け回ったあの頃を―【信長公の城】①那古野城

信長公は生涯で、5つの城に居住しました。その始まりが「那古野城」です。今では徳川時代の面影を色濃く残す場所となりましたが、それでも、信長公のいた時代に思いを馳せるよすがとなるものもあります。 大河ドラマ『どうする家康』では、そろそろ本能寺の変が見えてきています。が、今回はそんな、信長公の始まりの場所の歴史や今を見ていこうと思います。 ・ ・ ・

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■絶景の果てにある孤独を―安土城探訪記③

さて、安土城探訪記の3回目です。 私あるあるで、2回目の記事を書いてから時間が空いたので、もう書かないかと思いましたが(笑)、何とか書く時間を取れました。 今日こそ天主閣跡まで辿り着きます(笑) この記事は、今月4日に安土城址へ旅したときの記録です。 大河ドラマでは、先週長篠の戦いが終わったので、もうすぐ築城が始まると思います。本能寺の変の2週間後に燃え落ちた安土城の現在、あるいは、そこから見える過去の姿をお届けします。 安土城址に行ったときのことを思い出すと、大河ド

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■安土城探訪記②

昨日更新した、安土城探訪記の続きです。 いや、すぐ書かないと書かずに終わる、私あるあるが発動しそうで(笑) よろしければ、おつきあいください♪ 前回の記事で、安土城址へ辿り着き、歩き始めたもののすぐに「責任者出てこい」となりました(雑な説明)。 今回はそこから少し寄り道して、摠見寺で一休みし、そのまま天主跡に向けてずいずいと上り…辿り着かなかったところまでです。えぇ、もう一つ記事を立てる羽目に陥りましたとさ。 大河ドラマ『どうする家康』で、どれほどピックアップされるか

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■安土城探訪記①

先日、時間をつくって安土へ行ってまいりました。どうしても、『安土城考古博物館』の春季特別展を拝見したかったからです。 ただ、まだきちんとその展示を消化しきれていないので、そのときのお話はまたの機会に譲るとして、今回はそのあとに赴いた『安土城』のお話をしようと思います。 ・ ・ ・ 今回の記事は、安土城探訪の1回目ということで、 ■安土城の沿革 ■安土城へのアクセス ■登り始めの道の様子など をお伝えします。道中の写真もたくさん入れています。 大河ドラマ『どうする家康』

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お出かけnote12―浜松八幡宮

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