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流れ藻 7. 流木


7. 流木

流された木片の様に、これがさすらひなのか。

いつもなら頑是ない子等も、ここ数日の激変ですっかり生気はなく、黙って従順な犬の様に、この頼りにもならぬ母に寄り添っている。

良子はあまり出なくなった母乳に代わる適当な食事もないので、面持ちも変わって衰弱している。

泣く気力も衰え、それが疲れた母をいたわってくれていておとなしい。


母子寮の後に森のような木立があり、それに沿った道を、リュックを背負った人々が往来する。

この街の住人も、誰も彼も、旅人の様にリュックを背負って道を歩いた。それが敗戦の日本人の姿だった。

寮の鉄門をリュックを負った二人の男が入って来る。まるで山調査の出張から帰る会社の人たちの様に。

社宅の門を、あんな風にして、裕三、長男のお父さんはよく帰って来たのだっだ。

生き別れとなるか、死別か。
子等は父と再び巡り会う日をもたないかも知れない。

様々な想念に浸っていると、錯覚にとらわれる。

今が本当に平和であり、敗戦の現実が嘘ではないのかと、 悪夢ならな、と思い、イヤイヤ駄目だと諦めようとしている私の前に、夢のような、本当の事が起こった。

「お父さんだっ」

裕三が叫ぶ。

あの二人連れのあげた片手は錯覚ではなかった。

子等の父は杉野氏と二人新京出張中にソ満戦に入り、ハルピンで敗戦を聞き、満鉄の列車指令にいた旧友、関氏の奔走で、たった一本あった軍用列車でここまで逆流して探しに来たのだった。

地獄で仏に会ったとはこの事なのか。 張りつめた五体をバラバラにする疲労が押し寄せた。

たった半月見ぬ間にここまで衰弱した良子に驚き、もう死相を滲ませている西田家長女を見て、息を詰めていた。

「これでは駄目だ」

男二人の奔走でその夜出る列車に乗る事になった。

私達があれほど色々走り回ったが列車のチャーター等は、まるで聾サジキに置かれていたように全然無力でしかなかったのだ。 乗れば乗れる列車があると云うではないか。

それを外せばもうあと解らないという訳で、夜中チチハルを突如去る事になった。

湿地をワンワン蚊がうなっていたその暗闇を駅へと歩いた。

その汽車はたった一本逆流して来たという軍用列車だった。

父に連れられた裕三は大きな安堵の姿をみせて、小さな肩を張っていた。

杉野夫妻を先頭に、もはや入隊無用となった大塚中尉は 軍刀を外して、白兵子帯で麗子ちゃんをキリリとおぶり、 夫人も赤ん坊を抱いて、荷物を下げた。

重病人の川井夫妻も、リュックを病人にも負わせて、夫人が手を引いていた。

荷物にあえぎあえぎ、蚊柱をふみわけて駅へ向かった。
無燈火、無警察の夜の道をどれだけ歩くのか検討もつかなかった。  
相当の道程の様に思えた。

グンナリと背にかかる良子を気遣ってそっと揺りあげて歩いた。


その耳に久しぶりに、本当に久しぶりに聞こえた謡曲。

幻聴かと思う程、意外な所で、意外な時に聞く能楽。それはラジオなのだろうか。

祖国とて敗戦の最中で一体こんな演奏放送などがあったのか。

それとも、レコードをチチハルの人がかけてでもいるのだろうか。心静めるために。

敗戦のチチハルで謡曲を聞いて歩く。 流民の姿で、何と不思議な。

能装束のよく似合った亡父をその時私は想いだした。 私にも父があった。

しっかり、しっかりと、この曲がまるで亡父の庇護の声となって私に沁みこんだ。

(ああ私は守られている)



そして駅に至り線路を幾条も幾条も越えて渡り、その列車に乗り込んだ。どうにか皆が乗ることが出来た。

何をはばかるのか暗い暗い汽車だった。

あえぎながらチチハルを発車してハルピンへと向かった。

何度も行ったハルピンへの旅だが、こんな姿で流民として行こうとしていた。

平時の満洲にて 夫達亀(たてき)、長男裕三、著者操子(みさこ)


(8. 「ハルピン」に続く)

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