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憎みっ子、世にはばかれ!

なんの気なしにつけたドラマの録画を見ながら食パンをかじる、よく晴れた昼間。

登場人物たちが、あまりにも美味しそうに冷えたカフェオレを飲んでいたので、わたしも作ることにしました。
普段はあまり使わない、いつかの秋に鎌倉のガラス工房で作った大きめのグラスいっぱいにカフェオレをいれて、もう一度ドラマの世界へ。
ぼーっと画面を見ていると主人公が、
「わたし、幸せになること諦めないから!」
そう言いました。

それからその主人公が少し前にはなった「不安と楽しい、どちらかだけということはないでしょう?」というセリフが、頭の中に浮かびます。
分かる。すごい分かる。
生きていて、ただ楽しいということも、ただ不安ということもあまり無い。
人生はそのことの繰り返し。
そうでもないという人も世の中には居る気もするけれど、少なくともわたしはその2つの比重が目まぐるしく変わり続ける事が、ほとんど生きていることと同義だった。
楽しいけど不安。不安だけど楽しい。その繰り返し。


「わたし、幸せになること諦めないから!」
そういう類の欲にまっすぐな人や言葉に出会うと、いつからか少し戸惑うようになりました。
最近分かったのですが、それは恐らくわたしが失った思考回路だからです。
何も疑わず、何も憂いず、ただまっすぐに望むこと。

それから戸惑った後に、その時の精神状態がよろしく無いと、この思考回路をわたしから奪っていった人たちや出来事に腹を立てる事がありました。
多分、ずっと恨んでいるのです。その人たちのことを。
わたしを傷つけたくせに、わたしはまだ傷ついているのに、「ごめんね」と言って終わったことにして、今日もヘラヘラ生きてやがる!などと思ったりするのです。

ただ先ほどお風呂で、モッコモコの泡いっぱいで顔を洗っていたらふと、パートナーが昔わたしにかけてくれた言葉を思い出しました。
「君が傷ついたそれらの出来事みんな『無いほうがよかった』とは、俺は思わないよ」。
そのどれが欠けても今のわたしでは無いから、無い方がよかったとはわたしも同じく思わないのだよな、と顔がモコモコのまま思ったのでした。

失ったまま、恨んだままでいっか。
そのままわたしも幸せになる。

よくよく思えば、あの人たちみんなにとっての私が、不幸せになる要因(私の事を思い出し傷つけた事を悔いる事があるという前提ではあるけれど)になることはあっても、間違っても幸せの要因にはなってやらない!
今までは、どうぞ私の視界に入らないところでお幸せに!なんて思っても無いことを思ったり(日本語が崩壊)もしたけれど、そういう人たちはどうせ勝手に幸せになるので、私が思ってやる必要もない。
どうぞ、私にしたことを人生の汚点に、生きて行ってください。
それくらい毒づいていて良いのだ、そんな風に思うのです。

カラッとした春の陽気のおかげか、モッコモコ泡の洗顔のおかげか分かりませんが、なんとなく私なりの自愛を見つけ、毒づく楽しさを取り戻したのでした。


だから、って変だけど。
でも、だからみなさん。
これを読んでいる優しくて、傷つきやすいみなさんも。
どうか幸せになりましょうね。
私も世界一幸せになるので、あなたも一緒に幸せランキング(同率)チャンピオンになりましょうね。
お金が欲しい人はお金を望んで手に入れて、パートナーが欲しい人はパートナーを望んで手に入れて、安心が欲しい人はそれを、自由が欲しい人はそれを。


失ったって、恨んだって、憎んだって、そのまま。
そういうあなたのまま抱きしめて。

そうやってみんなできるだけそのままで。
そのままでしあわせになりましょ、ね。

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