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あの日の空の色を覚えているか

卒業式が設けられている別れは良い。
ちゃんとにさようならと言えるから、またご飯に行こうなんて気休めを言い合えるから。

日常を過ごしていると、そうとは言わずにいつの間にか触れられなくなる空間や、生き物があります。
布団に潜り、部屋の電気を消して、眠りに落ちるまでの永遠のように感じる長い長い沈黙。

寒い夜のせいか、今は絶対に再現しようとしてもつくり得ない、さようならも言えぬまま居なくなってしまった瞬間の事を思い出す日があります。


あの夏、妹とナスやピーマンを小さな四角に切り刻んで、ひき肉を炒め、四人分のキーマカレーを作った。
母はフライパンは熱いから火傷に気をつけてと憂い、「虫が入ってしまったかもしれない」と騒ぐ私に父は「大丈夫大丈夫、キャンプの醍醐味だ」などと笑う。そんな夕暮れの藍の色。


最もらしく将来を心配している顔をして、実際の脅威を想像できるはずもなく、でもそれで良かった。
アルバイトの失敗談をつまみに、就活の心配を唯一の僕らの共通項のように使って、朝まで喋った。
何度だって同じような話をして、何度だって聞いたことのある曲を歌って、友とならいつまでも一緒にいられた。
カラオケボックスを出るときは決まって朝になっていて、この曙色が、今日に置いてけぼりを食らったようで、好きなようで嫌いなんだと思った。


あの日の空の色を思うと、私たちは柔く美しい布を折り重ねるように生きているのだと思ったりします。
これは過去で、記憶のなかのことだから、どんなに焦がれてももう手の中に戻ることは無いのだとはっきりと認識すると、なんだか鼻のところがツンとして、ぎゅっと布団を握ったりしています。

そんな風に寂しく恋しく甘美な空の色は、私の生を彩りながら、いつかそれが終わったその時に私と一緒に漂うのだろう。
そんな時でも私はきっと、ずるずるとお気に入りの布団を引きずって、それですやすやと眠っているのだろう。



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