見出し画像

誕生の祝いをともに

お祝いごとや季節の行事が好きです。
ある恩師の教えで、意識的に大切にしている部分もあるのですが、昔から自分や自分の大切な人の誕生日のことを、とりわけ愛しているように思います。

↓恩師の教えについてのエッセイはこちら


先日、パートナーの誕生日がありました。
当日にはとっておきの誕生日メニューを手作り。
包み焼きハンバーグと、シャインマスカットのショートケーキをたらふく食べました。
もちろんプレゼントも用意して、おまけに週末にはパーティーも。
ちょっとやりすぎくらい祝うのが私流で、何十回だって「生まれてきてくれてありがとう」と伝えます。

大人になると、歳を重ねることを「めでたかないよ」なんて言う人もいますが、毎日を積み重ねることの難しさを思うと、この先何十年だってこんな風に大袈裟に祝いたいと思ってしまいます。

子どもの頃に夢見た、かっこいい理想の大人とはかけ離れた私たちだって、必死に生きている。
できない事だらけの大人だって、あの頃と同じように、ただそこに在ることを祝われるべきだと思うのです。

ケーキを頬張って、「中身はなんだろう」と心躍らせながら、プレゼントの包みを開けるあの瞬間。
あれを何度だって、私たち繰り返そう。
生まれてくれて、私と出逢ってくれて、それで生きてくれておめでとう。


毎年毎年、どうか来年もあなたの誕生日を祝わせてねと願って、生きていく。
だってこの世界で生きてゆくのは本当に大変で、そんな中でこんなにも大切なものを抱きしめてしまった私はとても強く、弱くもあって。
それで時々、怖くなります。

怖くなって、絶望して、生命を前に私たちは何もできないのだと何度だって思い知ったその後に、いつもたどり着く場所。
心や頭の中に思い浮かぶ風景があります。
それは、静かで美しい水の近くで手を取り歌い踊る私たち。
銃声の届かぬ場所で、生命を燃やし、踊っている。
なぜ、そんな姿が思い浮かぶのか分からないけれど、私たちの暮らしに似ているようにも思います。

私はそんなことを考えた後、いま目の前に輝いている、あなたという美しい生命を大切に祝い、それで祈り続けることしかできないのだ、と毎回気が付きます。

愚かで小さく弱い私の生命を使って、たくましくあなたの生命を祝う。
あなたの存在を肯定し続ける。

今週はエッセイの終わりに、10月の初め頃、パートナーのことを想って書いた詩を添えます。

それでは、来週もここ『陽だまりのかけら』でお会いしましょう。

画像1


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?