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相槌のスペシャリスト

ラジオが好きです。
華やかで才のある方達が、そこにいない誰かに向けて、最近あったことや、毎週決まったコーナーなんかに寄せられる誰かからの便りを読み、「う〜ん」とか「なるほど〜」とか言ったり、ケラケラと笑ったりする時間はなんとも平和です。
今ではテレビを見ている時間よりも、ラジオを聴いている時間の方がずっと長くなりました。


先日もいつものように、夕飯の支度をしながらラジオを聴いていて、ふと自分の好きなラジオパーソナリティに共通するある事に気が付きました。
それは、相槌がとても上手であるという事です。

元より、私の人生は「他人の相槌を見る」機会の多い人生だった気がします。

子どもの頃から3人以上の集団にあまり馴染めず、話題の中心になることはおろか、それ以外の「相槌を打つ側」になることもあまりなかったのです。
それらの集団をはたから見ていることの多かった私は、相槌を打つ側の人のことを殊更観察するようになりました。


外見や話し方に人柄が現れるという人がいるけれど、私は相槌の打ち方にこそ、その人の人となりが現れるような気がしています。
もう少し詳細に述べると、それにはその人が見せたいと思っている姿が現れると思うのです。

インタビュアーが言葉に詰まった際に、すかさず「うんうんうん」と頷きながら次の言葉をゆったりと待つ自分の大好きなアーティストを見て、惚れ惚れとしたこともあります。

空間を濁さず、穏やかに、それでいて退屈させず、自身もその話題を楽しみながら、さらに先へと促す。
自嘲したり不必要な刃を見逃さず、その切っ先が誰かを傷つけぬよう素早く鞘を差し出す。

スピーチ上手には1人でなれても、相槌のスペシャリストには1人ではなれないと思うので、そういうスペシャリストに出逢うと、すごい…と感嘆し、なんだか嬉しくなった後、私もこんな風になりたいと思うのです。


歳を重ね、人と出逢い別れてゆく中で、色々な人の言葉に触れ、相槌に触れ、私のなりたい私を磨いてゆけたら。

そんな風に思う秋の日のエッセイでした。


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