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「見慣れてる街の空に」


「今宵の月のように/赤い薔薇」のシングルCDを手に入れた時、とても気になったことがあった。表ジャケットはボーカルでありフロントマン、総合司会を自称する宮本浩次、中の盤面下には笑顔のバンドメンバー4人。
これは、エレカシではよくあるジャケットの写真構成と思うが、私が気になったのは裏ジャケットの一枚。
少し小高いようなところから撮影した、よくある街の夜景写真。
手前に緑の木々と足元にピンクの花。
銀色の柵。
シングルのタイトルをイメージした今宵の月が写っているーーーわけでもない。
この風景写真に意味があるのだろうか?
少し疑問に思ったけれど、その後すっかり忘れ去り、CDをエレカシ専用のCD BOXに仕舞い込んだままだった。

それからーーーーー

エレファントカシマシのインタビュー記事をいろいろと集めていく中で、インタビュー&カルチャーマガジン「Switch」を手にする機会を得た。
「Switch 」1996年5月号。
表紙は、俳優の永瀬正敏さん。コピーは“Tribal Gathering”?特集名?調べたら、UKのフェス名?でもないか。
それはさておき、目的はエレカシの記事。
見開きページから始まる記事は、計6P。
インタビューはSwitch編集部との署名。
撮影は、岡田貴之。
10代の頃からバンドと知り合いで、以来撮り続けている、フロントマンが「友人」と呼ぶカメラマンだ。

この記事はとても独特な語り口で、エレカシとフロントマンの今を浮き彫りにしようと試みている。
メインのコピーは、”一人称から二人称に開く“
2年間の未契約時代を経て、ポニーキャニオンとの契約を締結した頃。
このコピーが示す変化をしてきた、バンドとフロントマンの紆余曲折を伝えていく。

カメラマンは、著作「忌野地図」のプロフィールによると、この号が刊行された2年くらい前にあたる27歳の頃フリーカメラマンになっている。
何故、カメラマンの事に触れるかというと、このテキストはフロントマンとカメラマンの関係を軸に展開していくからだ。

カメラマンが、Switch編集部に自分の撮り溜めたーーロシアやモンゴルで撮った作品に混じり、フロントマンのポートレートーー写真を持ち込んだところから話が始まる。
エレカシは「悲しみの果て」のMV撮影を撮影している頃で、デビュー以来のロックを体現する剛で孤高の世界から、言うなれば世俗に降り立ち、人に伝える為に書かれたポピュラーと言える曲と、少しばかり軟なイメージに転換されつつあったころと思われる。
編集部のテキストには、怖い人だと思っていたフロントマンが、実はマネジャーにも丁寧に話す穏やかな人だったとの記述がある。構えて合間見えた編集部には、少々肩透かしだったらしく、穏やかな語り口調と細身の身体が印象的であったと記されている
フロントマンの口から、再デビューと言われるポニーキャニオン移籍の直後の心境、今のバンドの状況が語られるのだが、その言葉をフロントマンに親しく接するーー時には24時間一緒にいるほどーーカメラマンの言葉が裏付けるように綴られていく。


”宮本は「じゃあね」と言うのが嫌で、夜のドライブを終えて彼の家の前に車を付けても、それから長いこと車の中で語ることがままある。“
(Switch 1996年5月号 Vol.14 No.4 文:Switch編集部 撮影:岡田貴之)


TV番組でもフロントマンは、24時か共に過ごしていたと語っている。
浪人していた時代の2人の生活が、脳裏に浮かんでくる。

最初の見開き写真は、赤羽の団地にあったフロントマンの自宅前で撮影されたという。
小雨が降っていたのかビニールの傘を差し、花壇の前にある錆び鉄の柵に寄りかかった黒いセーター姿のフロントマン。
ページを捲ると、1Pに煙草を加えた3枚のアップと、自部屋の鉄扉を背にした一枚。そのうちの一枚は、カメラマンが1番フロントマンらしい表情という、人差し指で鼻をこすりながら、煙草を咥え、悪戯っ子のように微笑んでいる。
髪は、ロックシンガーに見えるようにと、長く伸ばしている。シェルターの動画の時よりかは、短くはなっているが。


”花と一緒に撮りたいと思う人物は僕には彼しか思いつかないんです。最近の花を飾ってくれよとか、花に水をやればいいとかからの連想も入っていると思いますけど。“
(Switch 1996年5月号 Vol.14 No.4 文:Switch編集部 撮影:岡田貴之)


いつも、会った時は撮影をしてから遊びに行くという。
この日も、カメラマンが見つけてきた沈丁花の前で写真をとっている。カメラマンが用意してきたアイロンが綺麗にかかった白いシャツ一枚の姿で。
撮影は、3月。ガタガタと震えるほどの寒い日だったようだ。


“撮影の時に気を使うと凄く嫌がるんですよ。”
(Switch 1996年5月号 Vol.14 No.4 文:Switch編集部 撮影:岡田貴之)
カメラマンは言う。

“彼の撮影はいつも1番過酷ですよ。遠慮しないですからね。寒かったてなんだって”
(Switch 1996年5月号 Vol.14 No.4 文:Switch編集部 撮影:岡田貴之)
フロントマンは言う。



こんな風に、2人が1番釣るんでいた時代の話は、AERAの2018年6/25号でも語られていた。
「現代の肖像」と題され、エレカシ30周年にあたり、バンドの歩みと現在の心境を、サポートメンバーやカメラマンの証言交えて語られていく、音楽ジャーナリスト柴那典氏の取材レポ。
そして、そこにはあの「今宵の月のように」の裏ジャケット写真のことが語られていた。


“その頃は近くに住んでいて、しょっちゅう一緒に遊んでいました。いつも僕の車で夜中に走って、出来上がったばかりの曲を聴かせてくれるんです。今宵の月のようには、赤羽の公園で初めて聴いた。そこで撮影した風景の写真をシングル盤の裏ジャケットにしました。”
(AERA.  2008年6月25日 No.28   文:柴 那典)


思いもよらなかったエピソードに、私は改めて「Switch」の記事を読み直していた。このエピソードは、まさしくSwitchのインタビューの頃を示しているのだろう。

会えばフロントマンの写真を撮って、カメラマンの車で夜に繰り出す。
この夜は、フロントマンが住む赤羽の丘の上にある公園。
そこで、カメラマンはエレカシ最大のヒット曲「今宵の月のように」を聴かせてもらうのだ。
もしかしたら、音楽関係者以外でこの曲を聴いたのは、このカメラマンが初めてだったのかもと、ふと思った。

丘の上の公園から、赤羽の街を臨んだ写真なのだろうか。
どんな衝動で撮られた写真なのだろう。
大事なシングルCDのジャケットに採用されるのに、どういった意味があるのだろう。

ひとつ、思ったこと。
この写真には月が写っていないが、フロントマンとカメラマンの心には冴え冴えとした月が浮かんでいたのだろうと。
曲の最後は、こう結ばれている。


ーーー”見慣れてる街の空に、輝く月ひとつ
   いつの日か輝くだろう 今宵の月のように”ーーー
(「今宵の月のように」作詞/作曲 宮本浩次 編曲 宮本浩次 佐久間正英 
発売元:(株)ポニーキャニオン)


出典 引用 
Switch 1996年5月号 Vol.14 No.4 文:Switch編集部 撮影:岡田貴之
AERA.  2008年6月25日 No.28   文:柴 那典
今宵の月のように 作詞/作曲 宮本浩次 編曲 宮本浩次 佐久間正英
         発売元:(株)ポニーキャニオン

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