フリー女性海サンセット横

初ジャズ喫茶で音質が良すぎてサンセットビーチが見えた話

水曜日——。
それは多くの映画好きな女性にとって特別な意味を持つ曜日。

私も例外ではなく、横浜ブルク13のレディースディのために映画を見に行った。

時刻は16時。それなりにいい席を現地で調達した私は、18時45分の上映開始までの時間の潰し方を考えていた。カフェに行こうと、食べログで検索すると、桜木町で3位に出てきたのは『ジャズ喫茶、ちぐさ』。

ジャズ、喫茶?

私にとってそれは初耳で、未知の世界だった。

レビューを読むと興味深い。
カフェではあるものの、飲食物ではなく”音質”にこだわっているそうで、スピーカーのカスタムについて専門的な用語を使ってのレビューがしたためられている。なるほど、わからん。でもわかった。たぶんこれは、行けばわかるやつだ。

幸い現在地のコレットマーレから徒歩で9分に位置し、Google先生の懇切丁寧な道案内で私はちぐさへたどり着く

外見はこじんまりとしたカフェ。
丁寧に清掃された年季を感じる小さなガラス窓から、人影が見える。真剣に聞き入っているようで、今から向かう場所がジャズ好きによる、ジャズ好きのためのジャズ好きのカフェだと理解する。ジャズのジャの字も知らない私が入っていいのか。一瞬の逡巡。しかしここまで来たならば。と、茶色いクラシカルなドアを思い切って開く。

私は入店し、ドアを背にして店内を見た。

「……」
「……」

(ん?)

そう、これはNow loadingの「……」ではない。現実の世界でマップ切り替えが起こったら、そのタイトルでnoteを書いている。人の声が飛んでこない比喩である。

ああそうか、ジャズ喫茶だもんな。お客さんはみんなジャズを聴きに来ているから、邪魔しちゃいけないもんな。と、理解する。

ただ——

ホールスタッフも居ない!?

いやわかるけどっ、確かに店内は厳かで最早ジャズの聖域で、定員さんが立っている雰囲気ではないけれどもっ、ど、どうしたらいいの。

早くも窮地である。

漫画だったら汗の粒が10個くらい散乱している。現実なので10粒分の汗はすべて衣服に染み込む。今夜は洗濯機を回すと私は決意する。

ジャズのジャの字を心配する前に、自分の空気読解力を心配するのが先決だった。空気読めないのをネタにして生きてきてごめんなさい。明日からは心を入れ替えますと神様に急場で祈る私。

しかし現実は無常。

私の逃げ場を締め上げるように、背後でゆっくりとドアが閉まった。

しまったァーーーッ。さーーー前にも後ろにも進めないぞ! 唯一空いている席は、よりにもよってスピーカの真正面! 一番いい席ではないですかッ。一元さんな私がずかずかジャズの聖域に土足で踏み込んでいいのかッ。否。いいわけが無いッ。

脳内は実況もとい熱狂でヒートアップである。
身体は冷汗もとい滝汗もとい滝行でクールダウンである。

しかしそこに、神が降臨する。祈りは通ずるのだ。

奥のカウンター席で小さく常連さんとお話していたマスターが、すかさず私に気づいて柔和に空席を、そう——聖域の心臓部とも言えるスピーカー真正面のソファ席を指し示してくれた。おお、神よ。我に恵みを与えてくださりありがとうございます。と、自分の脳内で聖書の文面が書き換わった。ちなみに聖書を読んだことはまだないが、人生中に読む予定なのでセーフである。

かくして。

メニューがある。お金もある。ホットコーヒーに決めたという意思もある。呼び鈴はない。

いやまぁそうだよねっ、そうなんだけれどもっ、声を上げるのも憚られるし、挙手か!?学校のごとく挙手をすればいいのか!?

私の手が静かに動き始めた瞬間——

「ご注文は?」

世界の創造主(マスター)が私に声をかけてくださった。世界(わたし)の尊厳は守られた。マスターの行動で今日も日本(てんない)は平和だった。
ちなみにその後、挙手で注文する客はおらず、待っているのが正解だった。



コーヒーを一口含む。酸味が広がり私は冷静になる。
冷静になると、ビギナーズラックで本当にいい席である。

ジャズを、浴びている。

目を閉じると、10メートル先で生演奏をしてくれている臨場感が迫る。
ピアノが踊り、ベースが歌い、サックスが叫び、ドラムが爆ぜる。
そこにトランペットやシンバルまで加わった際には目が潤む。

いいスピーカーはドラムやベースが体に振動を与えてくる。それはライブの臨場感そのものである。振動と共鳴し、胸が高鳴る。

つぶった瞳で、確かに見える。
ジャズバーで生演奏を背後にダンスを決める男女の姿が——。

そして各楽器は楽器の原型を越えて、演奏者の手により変幻自在に聞き手を楽しませる。

あるときにはピアノは夜空から降り注ぐ星屑になり、サックスは高音ギリギリを狙う挑戦者になり、ベースとドラムは絡み合いもつれる男女になる。

私は今、ジャズ全盛期1930年代のアメリカのバーで、薄暗い店内をうごめく人々の喧騒の隙間から、唯一のスポットライトに照らし出される演奏者たちを必死で見つめる、いちジャズファンになっている——。

レコードに刻まれたノイズの分だけ、私はタイムスリップできるようだった。

これは、白ワイン(800円)とミックスナッツ(300円)のほうを注文すべきだったな、と脳内で一人反省会。

録音された拍手とともに一枚のレコードが終わり、すぐさま次がかかる。

緩やかに始まった、それは。

さざ波だ。
震えるように前後に音の幅を利かせるドラムが、さざ波になっている。

さっきまでアメリカのバーにいた私は、ひとり異国の海で素足をさざ波に浸していた。

サックスの哀愁から、私はサンセットビーチで地平線に沈みゆく太陽を眺めていることに気づく。太陽の燃えるオレンジが穏やかな海に溶け出し、周囲のうす紫やピンク色の水面を侵食していく。ゆらゆらと世界が変遷するのを、私のまぶた越しに瞳が捉えていた。

この素晴らしい共感覚的なアルバムは何だろうと、カウンターに飾られたレコードのケースを横目で見る。

Book to Book?
潤んだ瞳にはそう見えかけて、腑に落ちないからと想像力を働かせる。

たぶん、 
Back to Back だ。(間違っていたら本当にごめんなさい)

曲は続く。

ジャズの旋律は緩やかに、太陽を地球から締め出す。海辺はすっかり暗くなっていく。ベースが夜を深めていく。輝きだした満月が水面をまばらに照らす。月という夜の静寂なる女王に見守られた海は、空と繋がっていく。視界が効かなくなりそうなほどの漆黒に、私は深夜まで海を見ているんだと気づかされる。

音楽はゆっくりフェードアウトする。朝にならないまま。夜へと世界を”戻し”たまま。

そう、どこか、太陽が沈んで月が上る海岸は、世界を後ろへ後ろへと巻き戻す光景に、私には思えたのだった。



二曲目。

雨が降っていた。
ベースのしとやかさかに裏打ちされたピアノの静けさは、雨に聞こえた。サックスが運んでくるのは読書の香り。ドラムとレコードのノイズ音は、すぐそばで燃える暖炉の火になった。

やっぱり舞台は1900年代のアメリカ。私は暖炉の火の生々しい暖かさを顔面で受け止めながら、静かに本のページをめくる。腰かけた安楽椅子が、優しく揺れる。視線を上げると、ガラス窓越しに紅葉が散り始める。
そうか、もうすぐ12月でクリスマス前の静寂を読書で味わっているんだ、と私は曲から貰った映像を完結させる。

確かに、読書とは過去をなぞる行為であり、それも、後ろへ行くようだな、と私は憐憫に浸る。

どうやら音楽とは、イメージを味わうものらしい。

さて、ジャズ喫茶ちぐさの営業は18時までだった。
私は2時間すっかり丸ごと、特等席でスピーカーを抱きしめジャズに酔いしれてしまった。

17時40分。そろそろラストかな、と思っていたら。

「Then came along~♪」

ここに来て、初のボーカルである。私は恍惚な表情で目を見開いた。

伸びやかな男性の声が、店内に響き渡る。
英語の偏差値30点台の私には意味が分からないが、やっぱりそこは言語。人に思いを伝える道具。そしてこれは音楽。感動が確かに、伝わってくる

ボーカルとは、楽器で構成された世界へのナレーションのようで。きっとこの感性に出会えたのは、声のないジャズをたくさん聞いたからだな、と私は感動する。

1933年から始まったジャズ喫茶ちぐさに詰まった、人々のジャズへの愛。87年の時を越えて、愛が私に届く

一つのことを愛し尊ぶ行為は、その片鱗に触れた人をも、愛に巻き込むのだ——。

「ごちそうさまでした。ジャズを浴びました。また来ます」

そうマスターへお礼を言ってお会計を済ませ、私は店内のドアをゆっくりと閉めた。

そのドアは、もう味方だった。



最後までお読みいただき、誠にありがとうございます!

ジャの字は相変わらずわかりませんが、素人が行っても十分楽しめる空間でした。考えてみれば音楽って、万人に開かれた娯楽ですものね。
入店~落ち着くまでの緊張は、いろいろと難しく考えすぎていただけのようです。

皆様へ優しい午後が訪れますように願って、筆を置きます。

金額ではなく、お気持ちと行動に涙です! 現在無職なので、サポートはお米の購入に充てさせていただきます。これで生きてゆけます。