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「洋服は2着ずつ」。小さな暮らしの実践は、ここから始まった

今や、インターネットで「断捨離」などと検索すると、とんでもない情報量が行き交っているのがわかる。モノや情報にあふれる現代社会において、ミニマリスト、エシカルライフといった言葉が台頭して、消費することで満足するのではなく、敢えて手放すことで「豊かさを手に入れることができる」という考え方も出てきたように思う。

手放すことは、難しい。でも「これでいい」という自分なりの見極めができるようになってくると、少ないモノで工夫をすることが楽しい、うれしい。そしてサステナブルな暮らしは、そのままダイレクトにサステナブルな社会へとつながっている。今回は、自分のものさしの原点にもなった洋服という観点から、モノを持たない暮らしについて考えてみたい。

祖父が大事にしていたモノ

私は神奈川県横浜市の住宅街で育った。第二次ベビーブームと呼ばれる団塊ジュニア世代として生まれ、いわゆる中流家庭で、祖父母も同じ家に暮らしていた。

祖父と祖母の暮らしは、子どもの私にとって印象深いものとして記憶に残っている。朝ごはんはトーストとレタス、ハム、目玉焼き。つつましい暮らしで、祖父は敷地内にDIYで小屋を建てたり、蜂の子を取ろうとして蜂に刺されたりしていた。野良仕事をする時はいつも同じ麦わら帽子をかぶって、格好そのまま、少年のような人だった。

祖父の外出着は、数えるほどしかなかった。小さなクローゼットを開けると、スーツが2着、冠婚葬祭用のスーツが1着、そしてトレンチコートが1着。ハンガーに掛かっている洋服は、そのくらいだった。

ある日、私の母がデパートに行くというので、ついて行った。祖父におつかいを頼まれたようだった。何を買うのかと思っていたら、買うのではなく、帽子の修理だった。フェルト生地の帽子に細いリボンのようなものが巻かれており、そのリボンの部分が汚れてしまったから、リボンを取り替えてほしいと。

デパートの店員さんは、母の顔とその帽子を見て、すぐに祖父のことがわかったようだった。店員さんは、「大切にお使いいただき、ありがとうございます」といった内容の言葉を母にかけて、とてもうれしそうにしていたのを覚えている。

帽子のリボンの部分を取り替えて、また新品同様に使い続ける。当時の私が思ったのは、それこそが「おしゃれ」だということだった。粋とも言い換えられるだろうか。以来、私にとってのおしゃれとは、たくさんの洋服を持ち、とっかえひっかえ今っぽい洋服を着る“着飾る”行為ではなく、スタンダードな洋服を最低限しか持たず、古くなったら修理をしてずっと使う、そんな行為と姿勢に変わった。

大量消費のなかで、クローゼットに目を向ける

そう言いながらも、社会人になり一部上場IT系企業に勤めていた私は、四半期ごとの目標売上達成ばかりを考えていたように思う。もう深夜2時、3時まで仕事をするのはやめようと転職しても、終電で帰る生活に変わっただけで、変化といえば深夜タクシーで帰宅しなくなった程度だった。

それでも暮らしを整えたいと思い、当時の私は何を考えていたのか、独身なのに3LDKの新築マンションを購入した。そこから暮らしは実際に、少しずつ変わっていった。おいしいコーヒーとともに朝ごはんを食べることと、コンビニのお弁当は買わないことを自分に誓った。週末は掃除や洗濯が楽しくなったりもした。

ある日、クローゼットを開けたときに、それほど着ない洋服がたくさんしまわれていることに気づいた。ちょっとずつ手放して、クローゼットに掛けている洋服の全体に目が届くようになると、白から黒まで、色ごとに並べてみようという気持ちが生まれた。季節ではなく色ごとに並べてみると、自分の好みがはっきりしているように思えた。

よくよく考えてみると、お気に入りの洋服は数枚しかなかった。お気に入りの洋服を毎日着るとしたら、こんなに洋服を持つ必要はないのではないか。少ない枚数でローテーションをするとしたら……そうか、毎日洗濯をすればいいのか、ということに気づいた。

それで、まず下着の枚数を減らしていった。1週間は困らない程度に持っていた下着を、4セット、3セットと減らすところまでは順調だった。2セットあれば普段は困らないが、雨で乾かなかったり出張で着替えが必要な場合もある。それで下着は3セットにすることにした。靴下も3足、シャツも3枚あればいい。気付くと、洋服の数がかなり減っていた。

「洋服は2着ずつ」という自分のものさし

下着を3セットから2セットに移行するまで、何年もかかってしまった。それでもまだ試行錯誤で、やっぱり3セット必要だと戻したりして、行ったり来たり。現時点では2セットに落ち着いている。

他は、夏の半袖Tシャツが1枚、外出用の半袖ブラウスが1枚、どちらにも応用できる半袖が1枚。半袖のトップスはそれしか持っていない。長袖のTシャツは2枚。長袖のシャツが1枚。先日、思い切って、七分袖のシャツワンピースを1枚購入した。七分袖ということもあって、どこに分類すればいいのかすら迷った。カーディガンは薄手が2枚、厚手が2枚。パーカーも1枚持っている。ボトムスは、夏と冬、それぞれの素材感のスカートが2着ずつ。アウトドア用のパンツが1着、もんぺが1着。書き出してみると本当に少ない。逆に靴下は4足ある。これには理由があって、冬は靴下を2枚重ねて履くからだ。

2着ずつとは言いながら、下着が2セットというだけで、他は2着だったり1着だったりもする。別に我慢をしているわけではなく、それほど困ることもない。それよりも、ハンガーに掛ける必要のあるコート類以外の洋服が、タンス1段に収まることに喜びを見出している。私の洋服は、これだけ。そこからはみ出さないこと、洋服全体を見渡せることが私にとっては重要で、価値のあることなのだ。

洋服という持ち物から社会に目を向ける

一方で、社会は依然として大量生産・大量廃棄から抜け出していないようにも思う。衣料品をつくるために、原材料の調達段階から大量の水が使われ、二酸化炭素(CO2)が排出されているし、日本で販売されている衣料品のうち約98%が海外からの輸入なので、輸送という点でもCO2が排出されている。ちなみに、衣服1枚が製造されて店頭に並ぶまでに、CO2の排出量は500mlのペットボトルを255本分製造するのと同じぐらい、水の消費量は浴槽約11杯分に相当するようだ(日本総合研究所, 環境省)。そう聞くと、洋服を見る目も変わってくるのではないだろうか。

クローゼットやタンスの中にある洋服を、一度見回してみてほしい。それは自分が心からお気に入りと言えるものかどうか。毎日使っても飽きないものかどうか。みなさんにとって、それぞれの「これで十分」という“ものさし”が見つかるといいなと思っている。その“ものさし”こそが、行き過ぎた消費社会に終止符を打つ鍵になるのだと思う。

■画像:夏の洋服の写真
夏に着るもの。最近のお気に入りは、今年購入した薄ピンク色の「もんぺ」。誰ももんぺだと気づかない

※ このコラムは、地球・人間環境フォーラムが発行する「グローバルネット」2022年9月号に掲載されたものです。定期購読はこちらよりお申し込みください。



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