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生活家電を卒業する。キッチンから始めた、配線ジャングルからの脱出

「家電量販店」という、家電に限った商品構成で商売が成立し、それが一つの業界になるほど世の中には家電があふれている、と感じている。かつて、戦後の日本で普及した「白黒テレビ」「洗濯機」「冷蔵庫」といった“三種の神器”と呼ばれる耐久消費財は、高度成長期には「カラーテレビ」「クーラー」「自動車」が“新・三種の神器”とされ、2000年代に入ると“デジタル三種の神器”として「デジタルカメラ」「DVDレコーダー」「薄型テレビ」も加わり、さらに“キッチン三種の神器”として「食器洗い乾燥機」「IHクッキングヒーター」「生ごみ処理機」も。

他にも「掃除機」や「電子レンジ」など、おおよそどの家庭でも使っているであろう家電を思い浮かべてみると、暮らしの中に家電が増える一方であることに容易に気づくのではないだろうか。

家電は、私たちの暮らしを便利にするし、楽しくもしてくれる。ただ、ほんの50年前には、あるのが当たり前ではなく、ないのが当たり前であったことは、すっかりと忘れてしまっているようにも思う。今回は、こうした“増えてきた”風潮とは逆に“減らしてきた”という経験から、モノを持たない暮らしについて考えてみたい。

原点は、「美味しいごはんを食べる」こと

「家で美味しいごはんを食べよう」と暮らしを整え始めたのは、いつ頃だっただろうか。やはり結婚という機会が大きかったのかもしれない。仕事が中心にあるような暮らしのまま結婚をした当初は、平日にごはんをつくるのは週何日かで、“週末くらいはちゃんとつくる”くらいの感覚だった。

炊飯器で炊くごはんはあまり美味しくないと感じていて、理想は、子どもの頃に食べていたごはんの味だった。ガスで炊くごはんはふっくら、もちもちしていて、お米の旨味がしっかり感じられるもので、実家を出てからは同じ味になかなか出会えなかった。ご飯専用の土鍋があると聞き、購入してみたところ本当に美味しくて、浸水して、炊いて、蒸らすという手間はあるけど、もう後戻りはできないというほど感動した。そうして炊飯器が、不要なものになった。

ちょっと手間暇をかければ、こんなに美味しくなるのか、と味をしめた私の次なるターゲットは、コーヒーメーカーだった。ハンドドリップをしたほうがきっと美味しいだろうことは、容易に想像がついた。そしてやってみたら、これもまた後戻りのできないものとなり、コーヒーメーカーが不要なものになった。

炊飯器とコーヒーメーカーがキッチンからなくなると、キッチン周りがすっきりしたように思えて、キッチンに立つことが楽しくなってきた。

電子レンジは、いったいどういう原理で温めるのか?

当時の私は、日曜の夜ごはんを土鍋で多めに炊いて、小分けにして冷凍し、平日にごはんを食べる際に、1食分ずつを電子レンジで解凍して食べていた。さっとごはんを済ませることが合理的なように感じていたのだと思う。

あるとき、いつものように電子レンジで解凍を始めると、電子レンジの中で稲妻のようなものが走るのが見えて、急に目の前で起きていることがよくわからない、という感覚にとらわれた。電子レンジの中で、いったい何が起きているのか。なぜ数十秒で冷たいものが熱くなるのか。電磁波によるものだと頭で理解はしていたが、インターネットで検索しても、わかったような、わからないような気持ちだった。

炊飯器やコーヒーメーカーを手放して、「家電を使わずにちょっとだけ手間をかければ、こんなにも美味しくなる」ことにに“正しさ”を感じていた私には、電子レンジを使って楽をすることが、急によからぬことであるように思えていたのだった。

そこで、電子レンジを使わずにご飯を解凍するにはどうしたらいいかと考え、鍋に少量の水を入れ、鍋のサイズに合うザルの中に冷凍ごはんを入れて、蒸らしてみた。そうすると、ふっくらもちもち、電子レンジで解凍するよりも美味しいごはんになることがわかった。電子レンジを手放そう、そう決めたとき、ふっと心が軽くなるような気持ちになったことは、今でも鮮明に覚えている。

科学で解明されているからその原理を使った家電ができていることは、わかる。でも、理屈ではわかっても、便利さに依存してしまう自分に罪悪感にも似た気持ちがあって、それも一緒に手放すことができたことで、家電を卒業することに火がついたように思う。

パンを焼くのは魚焼きグリルやフライパンでもできるから、トースターも手放した。キッチンから電子レンジとトースターがなくなると、キッチンが広すぎると感じるほどすっきりとした空間になった。

キッチンは、まるで配線ジャングル

キッチン家電がほとんどない状態になったある日、義理の母のキッチンに立つ機会があった。そこには、所狭しといろいろな調理器具が置かれていた。キッチン周辺の壁には5つも6つもコンセントがあって、そこから蛸足で配線ケーブルが伸びて、冷蔵庫はもちろん、電子レンジやトースター、電気ポット、コーヒーメーカー、ミキサーといったさまざまな家電につながれていた。

昭和時代を生きてきた“幸せな家庭”そのものだ。オーブンでアップルパイを焼き、カプセル式コーヒーメーカーでカプセルを選びコーヒーを抽出して、美味しくいただく。「何一つ不自由ない」という形容詞がぴったりのキッチンではあったが、一つひとつキッチン家電を手放してきた自分には、何か圧倒されるような違和感のある風景だった。白い配線ケーブルがジャングルのように見えてきて、これは都市部のコンクリートジャングルならぬ、都市部のキッチンという配線ジャングルだ、と思った。

生活家電から社会に目を向ける

少し時代をさかのぼると、日本人の食生活が変わってきたのは、明治時代後半のようだ。都市部では料理店や喫茶店などが立ち並ぶようになった。東京・新橋にビヤホールが開店し、サンドイッチなどの洋食とともにビールを提供したところ大賑わいとなって、これを真似てビヤホールが次々と開店したのがこの頃だ。家庭においても和食、洋食といった各種料理で食卓を賑わせるようになった。その後、暮らしはどんどん近代化して、生活家電もそれに合わせて広がりを見せていく。

家電の力を借りて効率化をし、家族の団らんの時間をつくることが家庭の理想像で、その流れはさして現在も変わらないように思う。

生活家電はどのくらいあるか、一度家の中を見回してみてほしい。ないほうがいいというわけではない。あるのが当たり前だから持っている、という家電がその中にないだろうか。一度家の中に入り込んでしまうと、なくてはならない存在に変わってしまうのが、生活家電の厄介な点だと思う。便利さというものは、魔力だ。既に手に入れた便利さを手放すことは、容易ではない。それでも、立ち止まって考えてみてほしい。家事は、どんどん楽に、楽しくなるかもしれない。でも、ほんの10分の手間と引き換えに、いったい何を手に入れようとしているのだろうか。こうして自分にとって本当に必要なものかを考え抜くことこそが、自分の“ものさし”を見つける機会につながるのだと思う。

■画像:土鍋
愛用している土鍋。最初は2合用を使っていたが、現在は家族が増えて3号用に。割れた蓋をリペアをしながら使い続けている。

※ このコラムは、地球・人間環境フォーラムが発行する「グローバルネット」2022年11月号に掲載されたものです。定期購読はこちらよりお申し込みください。


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