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わたしの中のお父さんとお母さん


ほぼ毎日柿もぎに精を出している。

大変、疲れる、そんな感覚を上回り、
心は楽しいと感じて、身体は喜んでいるように思えるから不思議だ。

でんでんでんでんと、
柿畑を長靴で力強く歩いていると、
どうやら大地からパワーが体内に流れてくるみたいだ。


そして、関わる時間が長くなればなるほど、見えてくるもの、
感じるものも多くなる。

それは柿についてだったり、日本の農業についてだったり、
70を過ぎた両親のことだったり
する。

今回は、毎日顔を合わせるようになった両親について、
柿もぎしながら考えたことを書いてみたいと思う。


段取り重視、準備を万全に、効率よく無駄のない仕事がしたいお父さん

お父さんといえば、仕事。

というくらい、お父さんが休んでいる姿を
小さい頃からずっと見た記憶がない。

それが普通だと思っていたけれど、
それが普通じゃないことに気づいたのは大人になってからだった。

仕事に関しては、まさに職人。

より良い生産物を生み出すためには、労を惜しまない。
愚直に、時間をかけ、手をかけ、足を動かし続ける。

良い生産物を生むためには、
カタチになるまでの準備や作業がとても大事だ。

多くの結果がそうであるように、

農業においては収穫までのあらゆる作業が
良い結果を生むために欠かせない土台となる。

一朝一夕では、いいものは作れない。

お父さんは、そんな一つ一つの準備や作業を
ピシッとやっていきたいタイプのようで、
パズルのピースがハマらず、ちょっと浮いているような仕事はダメみたいだ。

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そこは徹底してカチッとハメる。
そんなところに父の頑固さは生かされているようにも思う。

お父さんの仕事を見ていると、“極める”という言葉がしっくりくる。

お日様が出ている日中に、できる限り柿をたくさんもぐためには、
それができるための準備や段取りが欠かせない。

小さい頃、家族でごはんを食べているとき、
お父さんはいつもぶつぶつ段取りを呟いていた。

「明日は、あそこの畑をもぐとなるとコンテナはいくつ必要だな。
 脚立は置いてあるし大丈夫だ。
 明日は手伝いのもん(人)が来てくれるし、かごは15はいるな。」

一通り、1人でぶつぶつ呟いたとは、

「よしよし、わかった。」

と、一人合点して、ごはんをもぐもぐしていた。

子供の頃、謎の呪文のように聞こえていた段取りワードの意味が
今ならわかるようになった。

ちなみに、お父さんはスマホはおろかガラケーすら持ったことがない。
縛られるのが嫌いなところはお父さん譲りかもしれない。

今この瞬間にできる精一杯を尽くし、時間よりも人や物を優先させるお母さん

例えば、ご注文いただいている分の柿を出荷せずに置いておくとき、

(注文数のコンテナを残し、後は出荷する)

十分きれいで立派な柿だと思うのに、
「こっちでもいだ柿の方が大きいようだ」と、
選果した柿を再度大きいものをよりわけ選果し始めるお母さん。

くそ忙しいのに、
これで十分だと思うのに、
自分が休む時間がさらになくなるのに、

それよりも人や物に対して、今できる精一杯を提供する。

それがお母さんのすごいところ。


夕方近くなり、選果しきれず大量に並んだ柿のかご。
わたしだったら、1分でも早く選果作業を終わらせたい。

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それ以降にも出荷作業や脱渋(柿の渋抜き)、
晩ごはんの支度もろもろまだやることがいっぱい渋滞している。

なのに、お母さんは選果よりも
お手伝いに来てくれたおじさんにあげる花を優先する。

おじさんのお母さんが今年亡くなられたから、
仏壇に飾る菊があるかといいかと思って、と。

そして、効率よく仕事を進めていきたいお父さんに怒られている。
そういう光景を何度見たことか。


お父さんの気持ちもわかる。
でも、お母さんのそんな優しさは、
自分にはないからやっぱりすごいと思う。

これに加え、昨年はおばあちゃんの介護もこなしていたと考えると、
やっぱりお母さんはすごい。

自分のごはんはそっちのけで、
おばあちゃんが少しでも好きなものを作り、
ミキサーにかけて離乳食のようにして食べさせていた。

真逆タイプの老夫婦の日常

シャキシャキ手際良く、無駄なくこなしていきたいお父さん。
できる限りの最善を思案しながら今を生きているマイペースなお母さん。

当然ながら、しょっちゅう争いが勃発する。

基本的に、お父さんが瞬間湯沸かし器のように沸騰して、
お母さんは「はいはいわかったわかった」と受け流すか吸収する。


お父さんもそんなにプリプリした言い方しなくってもいいのに、
と客観的にみて思うのに、

「これはどっちかなぁ。これくらいはいいかなぁ。」

と、最盛期に柿1個の選果に手が止まってるお母さんを見ると、
「お母さん、それよりもっと早く!」
と、プリプリしそうになる自分がいる。

わたしの中のお父さんがお母さんに一言物申したくなる。


案の定、
「そんな時間をかけずに、ぱっぱとやれ」
と、お父さんからお声がかかる。

お母さんは、
「はいはいわかったわかった」
と、選果の手を早める。


柿もぎ時期に限らず、
明らかに真逆タイプのお父さんお母さんは、
しょっちゅうコミュニケーション麻痺が頻発している。

お父さんに対して、なんでそういう言い方しかできないのかなぁと思うし、
お母さんに対して、なんでそうするかなぁと感じる。


でも目の前で展開しているお父さんとお母さんの小争いは、
わたしの中のお父さん人格とお母さん人格の争い
投影なんじゃないかと思ってみたり。

ということは、
わたしの中のお父さん人格とお母さん人格が仲良くなれば、
目の前のお父さんとお母さんの争いも
鎮火するのかななんて思ってみたり。

ようは、わたしの中に間違いなく
お父さん人格とお母さん人格がいて、
その二人がわたしの内側でもせめぎ合っている
ことがよくあることに気づく。

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でも、なんだかんだ言いつつも、
お母さんの存在が不可欠であることをお父さんは知っているし、
お父さんの凄さを誰よりお母さんは認めている。

それが娘にはなんとなくわかる。

そして、お父さんのために、
どうかお母さんの方が長生きでありますようにと、
心の底で願っている。


両親の老いを感じる瞬間



先祖代々専業農家の実家。
長男で家業を継いだお父さんは柿づくりを
50年頑張って続けてきた。

今もなお若い頃と変わらない量の柿を作っている。

当然、年は50歳とっているわけだから、
どこかに無理が生じる。

身体の動きは緩慢になり、足腰は悲鳴をあげ、ちょっとした段差に蹴つまずく。
頭の回転はすこぶる低速になり、ちょっと前に確認したことを忘れたり、
キャパを超えるとしばらく考えを巡らす時間を必要とする。

出荷伝票の小さな文字が見えにくく、自分で書いた数字を読み取るのも一苦労。
はかりの細かい目盛はもはや拷問。
さっき確認したコンテナ数を3秒後には「はて?」と忘れる始末。


こういった自分自身の身体に巻き起こる老いによる変化に
誰より戸惑っているのは、
お父さんとお母さんのような気もする。

まだ受け入れる準備ができていないところに、
どっと押し寄せてきたという感じだろうか。

心は動きたくても頭と身体はついていけない。


お父さんとお母さんが老いていく姿を見ることは、娘としては切ない。
ずっと同じなんてないんだ、
ということがわかっていてもわかってないのかもしれない。

簡単な言葉で言い表すことが難しいほど、いろんな感情が出てくる。


人はいつかみな老いていくということを
まだわたしは実感として捉えられないけれど、
老いていっている両親の姿が訴えてくる何かを感じる。


人生ってあっという間なのかもしれない。


自分もいつかそうなるということ

そんな両親の姿を見ていると、ふと人生について
柿もぎしながら考えることがある。

わたしが小さかった頃の両親の年齢にわたしが近づいて、
わたしが小さかった頃の祖父母の年齢に両親がなりつつある。

最近特に、お母さんが亡くなったおばあちゃんの姿に
とても似てきたなぁと感じることがよくある。

そして、若かった頃の両親に自分がとても似てきたとも思う。


小さかった頃は、家に帰ると誰もいないことが寂しくて、
畑や納屋にお母さんの姿を求めに行っていた。

子供の頃は、柿もぎ時期の農家の大変さなんてわからなかったから、
寂しさやお母さんと一緒にいたいという気持ちだけが心を支配してた。

今、その頃のお母さんの年齢に自分がなってみて思う。

お母さんは、お母さんをやりながら、
こんなにも忙しくハードなことをこなしていたのかと…

お母さんやお父さんのA面だと思っていた姿が
実はA面ではなくB面だったんじゃないかと思ってみたり、

わたしはB面のお父さんとお母さんしか知らなかったのかも
なんて考えてみたり。


「その年になってみなければわからないことがある」


と、以前お母さんが言ったことがある。
お母さんはその言葉を亡くなったおばあちゃんから聞いて、
その言葉がようやくわかるようになったと話してた。

そのときはピンとこなかったけど、
なんだか最近、その言葉がわたしにもピンとくるように
なってきたからわたしも年をとってきた証なのかもしれない。

ーーー

柿もぎの合間に、少しずつ書き進めてきた今回のnote。

気づけば最盛期が過ぎ、今年の収穫が終わる頃になって、
ようやくここまで辿り着いた。


両親のことだけじゃなく、
わたし史上最高にお手伝いに行った今年(ほぼ皆勤賞)は、
農業、生産者、市場や販路について考える時間も膨らんだ。

そんな農業についてのもんもんテーマは、
また別の記事で書いてみたいと思う。


そんなこんなで、
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