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交差点。

今日は42歳最後の日。

(これくらいの年になると、公言しないものなのか私にはよくわかりません笑)


今日は、日本のマネージャーのみんなとデザイナーズルーム(本社から歩いて2分の場所にある私のアトリエ)の大きなテーブルを囲んで会議をした。



それは日常風景なんだけど、0から1を作ってきたものたちを初めて共有する会議だったからちょっと緊張していた。


実は2年近くかけて作ってきたものだった。


途上国の可能性を届けたいって気持ちで初めての資材、初めての工場、初めてのデザイン、初めてのアイテムに取り組んできた。

なんでこんなに苦戦するんだ、、、というくらい途方もなく感じた時も多々あったけど、一つ一つバッグや服の知識を駆使しながら問題を潰していったような感覚だった。


リスクを考えたら尻込みすることばっかりなアイテムではあったんだけれど、今日共有した会議でみんなが、

「これはちゃんとお客様に紹介したいね!」

「どのタイミングでどういう場所からやったらいいかな」ってすごくすごく前向きに挑戦を受け止め、私が不得手な“届ける設計”の議論をキラキラした表情でしてくれた。



会社って、大きくなればなるほど、品質や、信頼を守ることに比重が置かれ、(もちろんそれはとても正しい働きなんだけれど)0を1にする「挑戦」は、メンバーにとって「ストレス」だったり「負荷」だったり、非常にネガティブな言葉に置き換わってしまうことがやっぱりよくある。


私たちも、チームメンバーが今、700人を超えてきて、そういうきらいが0ではないな、と正直に思う時がある。


だからこそ、今日、緊張しつつ共有した時に、リーダーのみんなの変わらないスタンスが見られたことが、本当に嬉しくて、ついついこうして、noteにまで書いている。


一部の人間がいかに0を1にする挑戦をし続けても、組織がそれを受け入れられないケースなんてたくさんあると思う。守る正義感によって、挑戦が頓挫してしまうことも山ほどあると思う。


でも、その責任って、きっと誰にもないとも思う。


ただただ、理解し合える場所やタイミングがすごく徐々に、誰も気がつかないくらい静かに、効率化、数字史上の波によって流され、失われていったんだと思う。


歩み寄るという美しい言葉は私はちょっとフワッとしていてあんまり好きじゃない。


私が個人的にそうした課題に対して感じるのは、その流れを堰き止めることができる最初の一歩は、やっぱり当然といえば当然だけれど、守る側ではなく挑戦したい人にあるんじゃないかということ。


挑戦を、ただのアイディアではなく、誰かの幸せに転換したいっていう考え、つまり平たくいえばビジョンなんだけれど、それが唯一、離れている思考たちの交差点を作ってくれると思う。


ル・コルビジェの絵画作品で線が交差する表現が多くある時代がある。

その理由を彼が、「交差ポイントが最も熱量が高くなる」って書いてあった。


私はこの言葉が本当に好きだなあと思っている。

異なる意見、異なる思考、異なる価値観が対峙するのではなく“交わり”、そこからプラスの熱量が生まれる瞬間の空気感みたいなものが私は仕事をしていて美しいなと思う時。

似たような表現で、よく「橋渡しになる」という言葉が使われるけど、現実ってもっとずっとドロドロしてる気がする。グワって交じってその瞬間何が良いのか悪いのかもよくわからなくなって、なんのためだ?!って問い直そうというパワーが湧き上がってベクトルが定まる感じがする。


そういう意味で、今日の会議が42歳の最後の日にたまたま設定されていたけれど、私は、改めて私がすべきことや、これからも大事にすべきことをちゃんと感じろよ!っていうメッセージが込められているように思った。

まだ私の頭では、言葉にできない部分も山ほどあるし、通常の勤務日の雑感ではあるんだけれど、せっかくだから記しておきたくて。


43歳最初は来週からバングラデシュに。そして来月はニューヨークとロサンゼルスに行く。10月はインドのグラジャート州に洋服の生地を探しに。11月は生産地以外の新興国から呼んでいただけることが増えて、ウズベキスタンに手仕事産業を視察に行く。


これからも先進国と途上国のハイブリッド生活は変わらないと思うけど、この交差点を手を動かしながら生み出す起点になれる、そんな年の取り方をしたいなあと思っています。

これからも、どうぞ、よろしくお願いします!


追伸:写真は一昨日まで家族旅行していた鳥取の砂丘で。ああ、こんな曲線いつか描けたらいいなぁ・・・。


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