たくさんのありがとう。
30代最後の日に、何を書きたいかずっと悩んでいた。
40歳からの抱負や、30代の振り返りや、現時点の自分の生き方や哲学だったり、なんだかたくさん頭に浮かんできて、この1週間は本ができそうなくらい文章を書いていた。でも考え抜いた先に、今日どうしても書きたいと思ったことを書こうと思った。
私を産んでくれてありがとうお母さん、お父さん。
コロナで人と会うことができない中で、私は吐き出したい39年分の感謝を書きたいと思った。
母は、私にとびきりのユーモアと、溢れるほどの愛情と、たくさんの人を巻き込む不思議な力をくれたように思う(笑)。背が小さい母はいつだって「小さくても強い!」とそのギャップを私に見せてくれていた。
父は、私に創造する力を与えてくれた。仕事も、プロダクトも、時代も、社会も、人生の荒波さえも、自らの手で「創るもの」であると父の背中を見て、私は感じ取ったし、学んできた最高の師だ。
この二人の子供である私はまさに2 in 1で、心配性なのに勇敢であったり、弱音を吐きながら前進したり、厳しくありながらも自分なりの人間としての愛をもって、生きてきたつもりです。
だからよく多面性があると言われて、人によって私の感じ方は180度変わることも知っているけど、私はどちらの自分も大好きであり、どちらかを切り取られてもあまり気にしないけれど、いつも、優しさと強さの両方を愛するように生きています。
両親の後に、私にマザーハウスというかけがえのないオンリーワンの夢を与えてくれた仲間とお客さんと、生産地のみんなにも感謝を書きたい。
仲間達。
正直、マザーハウスは途上国とブランドという二つの相容れない要素をフラットな線にのせるという意味で難解な挑戦だと思うけれど、そこに自分たちの意志との重なりを見つけ出して、持てる力を出し合ってくれている世界中のみんなには、やっぱり特別な感情がある。
友達ではない。(休日に遊びたいとは思わないし笑)。でも、同志なんだと思う。
いい言葉だな。同志って。
私は副社長の山崎のように情にもろい方ではないが(笑)、それでも、みんながジョインしたこの会社が社会に対して正々堂々と何かに挑戦しようとしている状態を保ちたいとは思っている。
だから、これからもついてきてほしいって思う。
いや、ついてくるっていうか、一緒に未来を開拓していく面白さを感じてほしいと思っている。
同志については、面白いエピソードも、人物も多すぎてエンドレスになってしまうので、ここで書くことは難しい。
ただ、言えることは、チームさえも、手作りで作ってきていることは最高の誇りだと思っている。たくさんの会社が、乗組員の性格を把握せずに、人が乗り換える船で目的地までまっしぐらに進んでいるけど、私たちの船には、みんながみんなの良いところも悪いところも口にできる。
凸凹もあり、理解し合う困難さも、大きくなればなるほど大変ではあるけれど、そこを避けることはしていないって胸を張れる。
ぶつかって角がとれた曲線は非常に美しく、また強いと信じて、みんなで船を漕いでいる今は楽しい。
そしてお客様。
この「お客様」という言葉があまりフィットしないなあと常々本当に思う。
失礼かもしれないが、それほど近い距離で、私は感じている。きっと私だけじゃなく、スタッフもそう思っている。
年齢も、住んでいる場所も、ファッションのテイストもすごくバラバラで、よく百貨店の人とかに「どんなお客様層ですか?」って言われるととても困る。
でも、私が内心思っているのは、(これを話すと宗教っぽいから百貨店では話さないが)お客さんに共通しているのは、「人を信じようとする人たち」だ。そんな人たちにマザーハウスは囲まれてきた。
いつもなら、毎年イベントで直接そうした想いを言葉にしてきたつもりだが、今年はリアルに会えないから、こうしてせめて文章にしたい。
25歳で起業した私のことを、まるで自分の娘のように見守り、苦しい時こそ私自身の歩みを信じて待ってくれ、新作が出る度に、商品だけではなく、その背後にある私、工場、全ての要素の深化を感じ取ってくれてきた多くの人たちがいる。
今でも、ネパールに進出し、絶体絶命の危機の時のブログへのコメントは忘れない。事業や商品よりも私自身の安全を心から望んでくれた多くのコメントは、今でも度々思い出して、涙が出るんだ。
コロナで存続することに必死な今も、なぜ挑戦的な新作を作ろうと思えるかは、私の負けず嫌い精神もさることながら、そうした人たちが必ず見てくれているという絶対的な信頼関係があるからだ。
(私の勝手な一方向の想いかもしれないが、だとしても)私はそこに安心感を抱き、失敗を恐れないで進もうとしてきた。
「うちのお客さんはね、失敗しても、きちんと話せばきっと理解してくれるよ。」
以前スタッフにそう話したことがある。この関係性に支えられてこそ私の座右の銘「Keep walking」がある。確かにそこに甘えてはならないが、ブランドにおける作り手とお客様の新しい関係性が生まれていることは確かで、やっぱりお客様も含めて、同志だなあって感じる。
そして、日本語は読めないと思うけれど、書きたくてたまらない想いがある職人のみんなへ。
みんなは、「手」がもつ可能性を私に教えてくれた。辛い時も、逆境にいる時も、こうしてコロナで生産も販売も八方塞がりな今も、やっぱり手を動かすことでしか道は開けないと私に教えてくれている。
そして、遅々とした歩みであっても、手の世界は、後退することはなく、必ず技術は前進していくものであることも、教えてくれた。
インドネシアのムギさん、バングラデシュのモルシェド、スリランカのカスン。この三人はとりわけ、トップレベルの職人として、マザーハウスの夢に、どんどん現実味を加えている。
私は、みんなの技術や創造力が、なんらかの形で次の世代につながる道筋を作りたいと思っている。そして、その為には、どんどん難儀なリクエストを、答えのないリクエストを打ち出せるクリエイターであるよう努めたいと思う。
両親、スタッフ、お客様、職人のみんな、、、、感謝を述べたい人たちはあまりにも多い。
あの時の、あの人の言葉が、今の自分を作ってくれた、そう思える人たちがとても多いし、反対意見や、批判も含めて、それらを吸収してきて生まれたエネルギーは、本当に大きい。だから、本来ならば登場人物は数え切れないんだけれど、自分の日記にそれらはおさめておく。
そろそろ最後に、感謝を伝えたい相手、家族へ。
0歳の娘と、旦那。
東京で三人暮らしをするようになって9ヶ月が経つ。
実は、私にとっての30代は、体を壊したり、入院をしたり、ストレスで顔面麻痺になり、精神的には辛い時期が数年間続いていた。でも、そんな30代最後の一年で、私は結婚し、出産をした。
人生には、知らなかったこんなに美しい色がたくさんあるんだと教えてくれた家族には心から、心から、最高に感謝している。
「なぜ生きるのか」「なぜ働くのか」それらは自分自身の内なる精神哲学から形成するものだと思ってきたが、今はそこに更なる意味が加わった。
「家族がいるから。」
今まで以上に生きる意味を見出して、これ以上ないと思えた働く意味にも、家族の誕生により明らかにパワーが増している。受け止めるスタッフや職人は冷や汗をかいていると思える最近だ。
家族ができて、作ることも更に楽しくなった。
自分自身の精神により辛く長かった夜は、0歳児の夜泣きの夜に変わり、私は、そんな大変さをどこか有り難く、愛くるしく受け止めている。
自分自身が母としてどうか、というのは自信がないけれど、毎日娘が見せてくれている最高の笑顔がずっとずっとこれからも続くためなら、正直なんでもするぞって思っている。
そう、振り返ればがむしゃらに生きてきて出会えた仲間やお客さん、職人さん、そして家族、私は一言でいうと、最高に今、幸せです。
娘が生まれて尚一層、人の人生を豊かにできるような人間になりたいって思っている。
そのために大事なことは、自分自身の人生を豊かにするよう、100%やりたいことをやり続けることだと思っている。
コロナ禍で激変した世界で、何かを誓うことは容易いことではないが、40歳からはじまる10年間も、作り続けたい。ずっとずっと、手を動かす喜びを感じながら、そして、何かを探しながら。
みなさま、今までありがとうございました。
そして、これからも、どうか、お付き合いよろしくお願いいたします。
山口絵理子
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?