46.頑張りすぎた開拓者の姉妹①

奉仕活動をぱったり止めた頃、あるひとりの姉妹がぱったり集会に来なくなります。

彼女はS姉妹といい、年齢はMとおなじくらいの私よりも10歳程上で、
私は姉妹呼びではなく『Sちゃん』と呼ぶ程彼女のことがだいすきでした。

Sちゃんは正規開拓者で、私が住んでいた市は出稼ぎのフィリピンやブラジルの方が多く、
彼女はタガログ語やポルトガル語を独学で勉強して外国人の研究生を何人も持っていましたし、
さらに実家でピアノの先生もしている、
まさに『二足の草鞋』ならぬ『三足の草鞋』を履いているような人でした。

とても努力家で、さらに私たちにも優しかったです。

若い兄弟姉妹でレクリエーションをする時の姉妹側はSちゃんとその妹のKH姉妹、MとYM姉妹、私と妹の6人で集まることが多かったのですが、
Sちゃんはいつもリーダー役を買って出てくれて、段取りや準備や送迎なども疲れた顔ひとつせずにしてくれました。

かのBBQで私の妹の焼きそばが食べたいというリクエストを快く承諾して作ってくれたのもSちゃんでした。

MもSちゃんを羨望の眼差しで見ていましたが、
MがSちゃんの人柄に敵うはずがないと思っていました。

A兄弟もSちゃんがお気に入りのようでしたが、
私とちがい頭のいいSちゃんは一切彼になびくことはなかったです。

Sちゃんは20代正規開拓者で筆頭くらいの活躍を見せていた人でしたので、主宰監督のT兄弟もSちゃんは特にお気に入りでした。

特別開拓者のY姉妹が県外の会衆へ異動してしまったあと私はSちゃんの援助を受けることができ、私は組織援助の面ではすごく恵まれたと思います。

けれど私はずっと心のどこかで心配していました。

Sちゃん頑張りすぎだよ、
そんなに走っていったらいつか倒れてしまうよ、と。

この気持ちをSちゃんが元気なうちに伝えてあげたらよかった。

何年も抱えていた予感は的中してしまい、
Sちゃんは突然倒れてしまって集会にも来られなくなるまでになり、
ぴんと張り続けた糸がぷつんと切れてしまった状態になってしまったのです。

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