8.両親の離婚

小学3年生の1月のある朝7時頃、私は父と母のけんかをする大声で目が覚めました。

寝室の襖の向こうの廊下で言い合いをしていたらしく、突然大きな物音がして、
すぐに母の『助けて、殺される!』という大声が寝室に何度も響いてきました。

父が母を押し倒し馬乗りになって母の首を絞めていることが、
襖が開いていないのに分かってしまった瞬間でした。

母を助けなくちゃいけないのに、私はちっとも体が動きません。

たぶん1分くらい経ってから急に静かになり、
私は母が殺されてしまったと思いました。

私はこの時母を助けるために動けなかった自分の不甲斐なさ、情けなさに申し訳ないという感情が今でも溢れてきます。

父がはっと我に返ったのでしょう、
自由になった母が次に寝室の襖をあけて『ERIE 、じいちゃん(母方の祖父)に電話して。』と言いました。

祖父が飛んで家に来て、この殺人未遂が決定打となりその日のうちに両親の離婚が決まりました。

祖父は父にすごく怒って、父は祖父に謝り家を出て行きました。

これからうちはどうなってしまうのだろう、パパは捕まってしまうのかな?と漠然と1日中考えた夜、
うちに電話がかかってきました。

母が取ると電話の相手は父で、
『今お前たちがいる家は俺の家だから、俺が出て行っているこの状態はおかしい。今すぐ出て行ってくれ。』
という内容でした。

母と私と妹は着の身着のまま母方の伯父伯母のところに転がり込むことになりました。

母方の祖父母や伯父伯母もエホバの証人から見れば『未信者』および『反対者』ではありましたが、
血の繋がった家族である母や私や妹の居場所を作ってくれて、手ぶらの私たちを受け入れてくれました。

数日伯父伯母の家でお世話になり、私たち母子は祖父母の家に住むことになります。

父が戻ってくるとはもう思えなかったけれど、母から『パパに会いたいと思う?』と聞かれて、
妹は即答で『会いたくない。』と答えていたが、私は少し考えて『会いたい。』と答えてしまいました。

父が不倫したこと、母の首を絞めたことはいけないことだけれど、父が今まで寂しかった気持ちはすごく分かるし、
エホバの証人が我が家に介入してくるまでは休日は家族で遊びに連れ出してくれたり、父にかわいがってもらった記憶は今でもあります。

『エホバは私たちのお父さん』なんてずっと聞かされてきたけれど、
私にとって『父』は私と9年間過ごしてきた父だけです。

でも私がそう言った時母は、以前私に自治会のクリスマス会に行けないことを告げられた父の顔と同じ複雑な顔をしたので、
『パパに会いたい』と二度と言ってはいけないんだとこの時悟りました。

父とはあの日以来今まで1度も会っていません。

それからの父は不倫相手とすぐに再婚し、連れ子の他に女の子が産まれたそうですが、すぐに離婚しまた再婚しています。

そこまでしか父の戸籍を見たことがないので、私には血の繋がった兄弟と血の繋がっていない兄弟が何人いるかは今のところ把握できていません。

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