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2020年3月コロナと考える、命の限り

新型コロナウィルスの報道が出た直後から、胸の奥がざわざわしていて、なんだか憂鬱な日々が続いていた。だけど、比較的通常通り仕事をしていた。
とはいえ、分かりやすくイベントの自粛やアポのオンライン化みたいな取り組みはしたし、手洗いを念入りにして、マスクを何回も洗って洗って使ってきた。

すこしずつ日本が東京が、どうやらかなりマズい状況らしいと感じ始めた数日前からは、「死ぬときは、どんな風だろう」と毎日考えるようになった。

「死ぬかもしれない」「誰かを殺してしまうかもしれない」そういう想像をするようになった。途端に怖くなった。
と同時に「まだまだやりたいことがたくさんある」ということを認識した。

意味ありげに、でもどこかぼんやり過ごしていた毎日を、もうすこしどうにかしっかりと生きたいと思うようになった。
話す、笑う、本を読む、歌を歌う、ご飯を食べる、安心して眠る………どの行動も決して失くしたくないと感じる。

奪われることなどないと思っていた「当たり前」が簡単に消える可能性がある。誰かの、大切な人の、それを奪ってしまうリスクがある。

私はおかげさまで、とても健康で、インフルエンザに罹ったことすらない。37度以上の熱も20年以上出たことがない。医療従事者でもないし、代えが利かないような職業についているわけでもない。

だから、不必要に恐ることではないと思う。笑うなとも思わない。仕事はできることをしよう。でも自分が誰かの脅威になるかもしれない。バランスがとても難しいけれど、気持ちは明るく持たねばとも思う。

ただ残したかっただけで、不快に思われた方ごめんなさい。

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