シノヘ歴④(with コロナライフ)
今回はちょっと特別編。
まだ世間がおびえてた頃にコロナにかかった話。
4-①.発熱~HA TSU NE TSU~
シノヘは突然の微熱にうなされた。初舞台から数日後の7月初旬のこと。
この日は昼から葛西とネタ合わせをしていたが、どうもしんどく気分が乗らない。葛西を帰して体温計で熱を測ると37.5℃ほど。ほんのりしんどい。
前記事に書いたが初めてのRUSHを終えたばかりだったため、
「あぁ、体内のお笑い細胞が暴れてらぁ」位に捉えていた。
大嘘である。一人で大騒ぎした。
というのも、RUSH終わりに同じマンションに住んでいた芸人7~8人で打ち上げと称して部屋飲みを行っていたのだ。
元 居酒屋店長の岡星 でんでの作った料理をみんなで食べながら酒やらジュースを飲んで騒いでいた。
僕は人間的に終わっているので、でんでが作った唐揚げが半生だったせいで食中毒にあったに違いないと心の中で決めつけていた。
とりあえず葛西に相談し、翌日の朝まで様子を見て連絡することにした。
4-②.爆誕~BA KU TA NN~
翌日、もちろん熱は下がらず38℃すぎ、NSCに即メール。
直近3日の行動履歴を詳細にカミングアウトさせられて、行政の窓口に連絡するように伝えられた。
当時は、まだまだ腫れ物扱いだった発熱者は勝手に病院に行くことすら許されなかった。
電話で窓口に連絡し、案内された今里の病院まで一人で行った。
もちろんもうフラフラで感覚的にはすぐにでも倒れそう。
僕は自分自身をニュークォーターと自称するほどの女性脳で、凄く分かってほしいタイプの人間なので、道中の電車では必要以上に咳をして見せた。
あの時期だったので、露骨に人が離れていき、空いた席にドサッと座った。
駅に着き、グーグルマップを頼りに案内された病院に行くと、開いていないのではないかと思うくらい暗い病院だった。ブラックジャックも赴任を断るレベル。
中に入るとラブホテルの受付くらい狭い小窓から健康保険証をぶんどられ、すぐに熱を測らされた。・・・37.4度。
医「ん~、熱はあんまりないんだねぇ」
医者ほどの頭脳があれど、僕が勝手に解熱薬を飲んで来てることは見抜けていなかった。
僕『そうですねぇ、たぶん食中毒で。 友達が作った唐揚げ食べたので!」
思いっきり強がってみせた。なんや唐揚げ食べたのでって。
医「あー、そっかぁ。揚げ物って難しいからねぇ」
馬鹿医者だ。患者の唐揚げに踊らされるな。コイツはコロナだ。
こんな心理戦が繰り広げられたのち、抗原検査とPCR検査を行った。
たった1分ですべてが覆った。
医「はい、これね、線入ってるでしょ。コロナだと思います」
コロナ患者がNSCに爆誕した。1号ではないものの1桁ランカーだった。
4-③.隔離~KA KU RI~
家に帰って葛西とNSCに報告。
この時点で、ここから10日間の隔離生活が確定した。
と同時に、7月のRUSHには出演できないことも確定した。
絶望に打ちひしがれながら、保健所に電話をするとホテルで隔離療養になりますとのこと。
この時にはすでに39℃近い熱が出ており、文字通り死ぬほどしんどかったが、メチャクチャわくわくした。ホテルに10日も住めるの!??
保健所からは手続きを進め、すぐにホテル療養の準備をすると伝えられた。
しんどいながらに電話を待つ。待ちに待ったが返事は来ず。
家から出るなと言われていたので、馬鹿正直に飲み物も買えずに喉もカラカラで半泣きなまま就寝、翌昼前に起床。
もうしんどすぎてブチギレてやろうと。
いつもより強めにスマホの番号を叩いて電話をかける。
少し時間がかかって担当者の方につながった。
あまりにも落ち着き払って電話対応をされるので、おこりんぼうの僕はプチンと来て、これまでの経緯と水も買いに行けない現状はどうすればよいのかとヘロヘロの声でぶつけた。
担「まぁそう言われましても笑」
ほんまにそう。そうなんやけどさぁ、分かってよ!!
聞くと買いに行っていいとは言えないが、行くなとも言えないとのこと。
なんじゃこいつと思いながら電話を終わらせ、すぐにファミマへ。
記憶が正しければ3000~4000円分ほど買い込んで部屋に戻った。
熱はひかないが、比較的快適になった環境でアマプラで映画を見ていると、保健所からの入電。「本日迎えに行きます。」
急やな。2日待たした挙句、突然準備してくださいと。
あんだけ楽しみだったホテル療養だが、急に来られると話が違う。
僕はジム・キャリーが大好きだが、突然家に来られたら困っちゃうのだ。それと同じ。
急いで準備を整えると、運転手から入電。家の前まで来ているとのこと。
だから早いんだわ。。なんて思いながら家の前に出ると、ハイエースの中でも一番大きいグランドキャビンが来ていた。
声をかけて乗せてもらうと、コロナ患者搬送仕様にカスタムされており、運転席との間にはアクリル板、隙間がないようにコーキングされており、後部座席にグロッキーなやつらが4人ほど乗せられていた。
自己紹介とかいるのかな?なんて思っていると、車は出発し15分ほどでホテルに着いた。
おそらく患者のプライバシーを守るためだろうが、後部座席のガラスはすべて内からも外からも見えないように板張りされており、なんか誘拐されてる気分も味わえてお得だった。
ホテルは大国町だった。
受付で説明を受けて、部屋のキーをもらう。
ウキウキしながらロビーでアメニティを集めてエレベーターに乗る。
「部屋の扉、オ~~プン!」なんて陽気には入ったりはしていないが、入室すると広めのシングルルーム。良い、かなり良い!!
普段は鶴橋の独房で、ニトリの一番安い雑魚布団で暮らしてたこともあり、初日には既に帰りたくないと考えていた。
ここでのルールは3つ。
①定められた時間に体温+脈拍計測し、報告すること
②禁酒 / 禁煙
③お弁当は1人1つ。
4-④.療養~PARADISE~
療養初日、まだほんのりしんどかった。
とはいえ、もう発熱から3日目。
経験者は分かると思うが、正直もうそんなにだ。
ただ、やはり不安の影響は大きく、僕はお風呂に入るだけで息が切れて倒れそうになっていた。今考えたら絶対にのぼせだ。
初日はここまでの記憶しかない。
2日目
部屋の内線電話が鳴り響いて目を覚ました。まだ8時すぎ。
こんな時間に叩き起こされて、なんだと思って受話器を上げる。
「至急体温報告してください。沢山の人がいるのでルールを守りましょう」
25歳なのに怒られた。しかも3つしかルールがないホテルバカンスで!
よく考えてほしい、一般社会から離脱して芸人をしている人間が8時に起きてるはずなんてないんだ。 ルール①、、失敗。
この日はなんとかして、ペイチャンネルのエロ動画をどうにか見れないか模索していた。まだ熱も残っているのに廊下を闊歩して、ペイチャンネルのカードを買いに自販機に行ったりもした。
非人道的なことに、飲み物類も含めて自販機コーナーは閉鎖されており、購入することはできなかった。本当に最悪だ!!!!
ビジネスホテルのいいとこってここやん!!
今日日いつでもインターネットで好きなジャンルのAVは調べれるよ。
ただ、そういうことじゃないんだわ。この非日常空間で触れ合う、日常的なエロ動画、知らない部屋で大画面で見るアダルトビデオ、これこそが最高の組み合わせなんじゃないの?
コーヒーと牛乳が出会ったように、中学生のヤンキーとセブンスターが出会ったように、反町隆史と松嶋菜々子が出会ったように!!!
おいおいと喚きながら、その日をどんよりと過ごしたことは忘れられない。
4-⑤.解散~Good Bye~
このホテル療養中、3日目にビッグイベントが起きた。
一応毎日連絡は取っていたのだが、葛西から何もできないのがつらいし、前から話もあったし解散しようとの連絡。
お互い次のコンビまでのつなぎの状態だったので、快諾。
ただ、これが葛西とシノヘの分岐となった。
葛西は、俺が体調を崩していることもあり「NSCに連絡しておくね」と解散報告を請け負ってくれた。
ありがとうと返事をして、スマホでエロ動画を漁っているとNSCから電話。
体調報告も怠らず毎日メールしていたので、海外の非常にグレーなエロ動画サイトを見ているのがバレたのかと思ってパンツをはいて電話に出ると、
「お前がこんな状況なのに葛西から解散の連絡がきた。」
「相方の命にも関わる状況で自分のことを考えて行動するヤツなんてダメだと怒っておいた」と。
アツすぎる、なんて素敵な社員さんなんだと。
正直この日まで、この社員さんは僕以上のタダの怒りんぼうだと思っていたので、この日を境に本当に大好きになった。
社員さんの中では、非道な葛西と可哀想なシノヘという分類ができた。
社員さんには解散は前からの話だったことを説明し、受諾された。
他力本願児、1ヶ月強で解散。
4₋⑥.復調~ FU KU CHO~
ホテル療養を開始してからは、日を追うごとに復調し 計7日間のホテル療養も4日目からは元気そのものだった。
次の事件は5日目に起きた。
もうリモートでNSCの授業にも出席していた。
療養前にコンビニで買い込んだお菓子も底を尽きていた。
僕は腹ペコだった。
僕は2日目ぶりにルールを破った。そうお弁当を2つ食べたのだ。
これは人に迷惑をかけない自信があった。
このホテルでは毎食時、1Fロビーにお弁当が積み上げられる。
そのお弁当を時間になると自分で取りに行くスタイルだ。
僕は日によって、すぐ取りに行く日もあれば廃棄時間ギリギリに取りに行く日もあった。
ただ3日目までの僕が蓄積したデータでは、絶対にお弁当が4つは余っていたのだ。
(( はは~ん、なるほど。これは食いしん坊対策の予備弁だ ))
センター試験を潜り抜け、弱小ながらも公立の大学を出た僕にはすぐに答えが導き出せた。
ホテル側は、うっかり弁当を二つ食べちゃう人が現れてもいいように、予備のお弁当を多めに作っているのだと。
「これが与えられた弁当を猿のようにむさぼっているコロナ患者たちとの差だ!!!」
僕は「お弁当は1つしか持ってませんよ~」みたいな顔をして、お弁当を2つ、水を3本とった。
今、「水とりすぎやろ!」と思った方は失礼だ、謝ってほしい。
水は取り放題だ。人間よ,当たり前じゃない?!
どうせ弁当2つ取るやつは、水もルール違反で取るとか思ったんでしょ。
そういう決めつけが差別とか戦争を生む。
自分自身が偉いとか、正しいとかそういう価値観は捨ててほしい。
今読んでいる方に説教をすることで、僕が弁当を2つとったことを頭から忘れさせるミスディレクションを行った。どうだっただろうか。
話は戻るが、弁当をムシャムシャ食べていると館内放送が鳴った。
「お弁当が無い方が2名いらっしゃいます。 間違えて持って行った方は返却お願いします。再度お伝えしますが、お弁当は1人1つです」
あちゃ~~~~!!! 1人1つだったぁ~~。。
しかも俺以外にも弁当泥棒がもう1人いたぁ~~。。
体調悪い癖に弁当2つも食べるんじゃないよ。
僕自身とまだ見ぬ犯人に心の声で注意喚起した。
残る2日は特に事件も起きず、ホテルの横のパチンコ屋の駐輪場の自転車を見て、あの人また来てるよ。。みたいな暇つぶしをしていた。
普通に退所して、普通に鶴橋に帰った。
1週間窓を開けっぱなしだった部屋は、ほんのり焼き肉の香りがした。
次回、新コンビ結成編だよ!!!
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?