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MF Doomというラッパーについて 1/3

 悲しいニュースが元日の東京に届きました。彼の妻Jasmine DumileによればMF DoomことDaniel Dumileが昨年の10月に亡くなっていたとのことです。特徴的な鉄仮面と多様なオルターエゴを持った彼の活動は独創的で、創造性に満ちたものでした。

人は誰しもTop Fiveを考えながら生きていると思いますが、個人的にその一角を常に占めているラッパーの1人がMF Doomでした。自分自身、彼の複雑なライミングや多義的なワードプレイを十分に理解出来ているとは到底言えませんが、この記事がその偉大な足跡を辿る一助となれば幸いです。

・キャリア初期 : KMDのZev Love Xとして

 MF Doomのキャリアは1988年に弟のDJ SubrocMC Rodanと共に結成したKMDから始まります。ここで彼はZev Love Xを名乗り、MC Rodan脱退後に加入したOnyx the Birthstone Kidとの3人組として1stアルバム『Mr.Hood』を91年にリリースします。

 街の資産家であるMr.HoodがZev Love Xと出会うことからアルバムは始まり、その後も軽快なダイアローグを挟みながら進行していきます。全体としては野心的でエネルギーに満ちた3人のMCによる言葉遊びと"Peachfuzz"に象徴される、ネイティブ・タンの影響下にあるジャズ・サンプリングが、陽気な雰囲気を形成しています。

ただ、Dumile自身はKMDの真の哲学が別の所にあったことを主張しています。実際のところ彼らはBlack Muslims団体Ansaru Allah Communityのメンバーであり、「黒人であること」はアルバムにおける主題の1つです。ディズニー映画の黒人差別的なラインを引用しながら、サンボの風刺画への不満をスピットする"Who Me?(With an Answer from Dr.Bert)"や、黒人のルーツとしてのブルース・ミュージックにより敬意を払うべきだと主張する"Bananapeel Blues"といった曲ではこのことが前景化しています。また、5パーセンターの教義を意識したラインも随所に忍ばされており、Brand Nubianとのジョイント"Nitty Gritty"では彼らの哲学が炸裂していると言えるでしょう。

 『Mr.Hood』のそこそこの成功を受けて制作された2ndアルバム『Black Bastards』は、製作と前後してOnyx the Birthstone Kidが脱退したため、ほとんどZev Love XSubrocの2人による作品となります。しかしながら悲劇的なことに、本作のリリースを控えたタイミングで、メンバーであり実弟Subrocが道路を横断中に車に轢かれて亡くなってしまうという事故が起こります。更にサンボが首吊りをしているアートワークが問題となり、本作はプロモーションが行われたにも関わらずお蔵入りとなってしまいます。結局のところ1人となってしまったZev Love Xは失意のうちにヒップホップ・シーンから一時去ることとなります。

 Zev Love XSubrocが遺した『Black Bastards』Large Professor『The LP』と並び、ヒップホップにおける最も有名なお蔵入りアルバムかもしれません。アンダーグラウンドで流通した本作の完成度への称賛と悲劇的なエピソードは、MF Doomという謎めいたヴィランにおける神話的な誕生譚となっているからです。

『Mr.Hood』がストレートな社会的メッセージを帯びたフレッシュな作品であったのに対して、『Black Bastards』はより内省的・個人的であり、更に言えば混乱してさえもいます。Mid 90'sなくぐもったサンプリング・サウンドは陽気さよりも生々しさを感じさせます。その一方で言葉遊びの面白さはますます強調されており、ナンセンスの度合いを深めています。

『Mr. Hood』では91年らしくフレッシュなMCといった印象だったZev Love Xですが、ここでは後のMF Doomらしさの萌芽を見ることが出来ます。例えばソロ曲"Contact Blitt"において彼はリスナーを不思議なバスツアーに誘い入れており、後のMadvillainにも繋がる奇妙な世界観を広げます。また、比較的イナたいSubrocとの息のあった掛け合いもこのアルバムの魅力の一つです。

「Not the three of us anymore, is it?」と2人体制を宣言する冒頭の"Garbage Day #3"から顕著なように、前作ではエッセンスとして用いられていた映画等からのサンプリングは本作では更に効果的に利用され、全体の怪しげなトーンを基調付けています。

ただし、アートワークやタイトルから連想されるポリティカルな側面は控えめで実際のところ『Black Bastards』は親しみやすく、ラップの楽しさに満ちたアルバムです。例えば”What a Niggy Know?”の主題は人種主義ですが、印象に残るのはむしろZev Love Xによるユーモラスなワードプレイです。酔っぱらいが延々と言葉遊びをしているような飲酒賛歌"Sweet Premium Wine"(個人的なベスト・トラックです)やAkinyeleのようなエロソング"Plumskinzz"(もちろんPlumは隠語)と、彼らの酒・ウィード・女という享楽的な一面も見ることが出来ます。

・MF Doomの帰還:Operation Doomsday

 非凡な傑作『Black Bastards』に対する称賛を受けることなくZev Love Xは表舞台から姿を消すことになります。94年~97年まで「マンハッタンの通りを歩きベンチで寝るという、ホームレスに近い生活をしていた」彼は(ただし、この時期について彼は複数のインタビューで異なる内容の話をしていることに留意しましょう)97年から98年にかけて、マンハッタンのNuyorican Poets Cafeで開催されていたオープンマイク・イベントに参加し始めます。タイツやバンダナ、キャップといったいくつかの試行錯誤を経て、彼は鉄のマスクを着用することになります。そして業界への怒りと実弟を失った喪失感を反映した新たなアイデンティティMF Doomを名乗り始めます。Bobbitoによる伝説的なインディーレーベルFondle 'Em Records(MF Doomが最初にFondle 'Emから、00年代にRhymesayersとStones Throwからアルバムを出したことはオルタナティブなラップシーンを概観する上で非常に示唆的です)からいくつかのシングルをリリースした後、『Operation Doomsday』を発表します。

かつて熱心なブラックムスリムだった青年はここで、豊富なスラングの語彙と多義的な言葉遊びを得意とする、ストリートにおけるエキセントリックなヴィランのペルソナを獲得しています。MF Doomの魅力は、一見するとシンプルな単語を用いた支離滅裂なワードプレイと思いきや、寓意が込められているようにも聞こえ、しかしやはり単純にナンセンスであるとも聞こえてくるような、リスナーを煙に巻いてしまう独特のライミングにあります。例えばSade"Kiss of Life"BDP"Poetry"をサンプリングした代表曲”Doomsday”は以下のラインから始まります。

I used to cop a lot, but never copped no drop

このラインは"cop"と"drop"という単語をどのように捉えるかで様々な解釈が可能です。例えばGeniusの注釈では3つの解釈が紹介されています。1つは"drop"をオープンカーのような高級車と解釈し、「たくさんのモノをゲットしてきたが、高級車には(あえて)手を出さなかった」という読みです。また、cop a lotしていたのがドラッグだとすれば、「大量のドラッグを嗜んでいたがキマり倒すことはなかった」という読みも可能です。またはナンセンスに捉えれば「昔風邪をよくひいていたが"cough drop"(咳止め)は飲まなかった」という話をしているのかもしれません。ここではdropやcopという簡素だが様々な意味を持った単語を意味深に展開することで、リスナーの複数の解釈を誘っています。

次の"Rhymes Like Dimes"においても、"Dimes"が何を意味しているかでこの曲の響きは変わってきます。Weedを入れるDimebags(パケ)として解釈することがもっとも古典的なヒップホップ流でしょうか。彼はディーリングの代わりにライムを売って金を稼いでいるということになります。一方でDimesを魅力的な女性の隠語として解釈すれば、彼のライミングは美女のようにフレッシュだと主張しているようにも聞こえます。もしくは同じようにDimesを女性とした上で、ライミングと同じように女性をディールする悪辣なピンプであることを主張していると捉えることも可能です。

また、ライムだけでなくビートについても既にMF Doomは彼の黄金形を形成していると言えるでしょう。KMD時代はSubrocの、あるいは共同によるトラックでしたが、『Operation Doomsday』においては(Subrocが遺した"The Hands of Doom"以外は・Subrocを失った喪失感は本作を特徴付ける一つの重大な要素となっています)すべて、自らの手によるトラックです。Bobbitoの相方Stretch Armstrongによると、DoomStretch ArmstrongのアパートでMPC 2000を使い、3,4時間以上眠らないという非常に集中した状況でトラックを作り上げたとのことです。確かにこれらのビートはその逸話に相応しく、非常にラフで軽快なワン・アイディアを一気呵成で形にしたような即興性を感じさせます。そのうえ、簡潔さと同時にスモーキーな中毒性を持ってもいます。

なお、これ以降トラック・メイキングも活発化させるDoomのビートは膨大な量が存在しており、それらは2001年からリリースされた『Special Herbs』シリーズで聞くことが可能です。MF Doomは手抜きの達人でもあるため、Special Herbsシリーズでインストとして収録されているトラックが使い回されているのをよく耳にしたものです。Nasのアカペラを利用した『Nastradoomus』はその筆頭であり、意外な化学反応を楽しむことが出来ます。また、過去の盟友MF Grimmのフリースタイルが楽しめる『Special Herbs + Spices』も費やされた熱量とヒップホップとしての魅力は比例しないことを証明する傑作です。

そして『Operation Doomsday』MF Doomのキャリアにおける重大な契機となるレコードですが、同時にヒップホップの歴史においてオルタナティブなラップの道を切り開いた偉大な作品の1つでもあります。本作がリリースされた99年はサンプリング・ビートの利用が制限されていく中でBad Boyの商業的な成功を経て、TimbalandThe Neptunesが革新的なビートをもってポップチャートを席巻しようとした時代であり、そのことは逆にラップ愛好家たちの結束を強めました。複雑なライミングやびっくりさせられるようなラップ・スタイルを探求した彼らは00年代以降に多種多様のオルタナティブなラップシーンを形成していくことになります。現在においてメジャー/アンダーグラウンドの線引をすることは困難であるとは言え、そうしたオルタナティブなラップの可能性から生まれた子どもたちの1人がTyler, The CreatorEarl Sweatshirtであると言うことも可能でしょう。


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