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自分をとにかく癒そ

毎月やってくる生理ちゃんは、どうやらわたしにとって内側の浄化とぴったんこに繋がってるらしい。そんなことを最近つくづく感じる。

今月はなかなか
ずっこーんな生理前で、甘いものとかあぶらこいものとか、わたしのカラダは貪欲に欲しがってきた。

しかも更に
低気圧まで重なって、偏頭痛やら吐き気やら腹痛やらでカオスな今月の生理ちゃん期。
気持ちはズドンとなり、久しぶりに陰の底までおちてった。

だけど実はこうなったらチャンス。
だいたいいつも
何かわたしの中に隠れ潜んでいる
未処理なやつが浮かんでくる前兆。なんだなんだと待っていると「信じられない大きさの罪悪感」だった。え、まだおられましたの?あなた?な気持ちだったけど、まだ居られたようで。

布団にくるまりながら、この罪悪感をじっくり感じていくと、幼少期から学生時代に看護師時代、おそろしいくらいのもう数えきれないほどの罪悪感がどろどろとわいてきた。
(しかも多分それ反省しすぎなやつらしい)

「自分のせいで」という罪悪感
だからそりゃあ
「こんなわたしなんて人に好かれるはずない」という決めつけが、「息しないと死ぬ」くらいのレベルで自分の中に刷り込まれてる。
そしてそれが、人間恐怖症に繋がってってる。

こりゃ一大事だ。
自分の中に罪悪感や自己肯定感の低さがあることなんて、もう幼少期から知ってたけれど、ここまでの規模で溜まってたとは思わなかった。

不登校や過酷な看護師時代を経て、いつのまにか膨らみ上がっていたんだろうけど。
幼少期時点での生きづらさから考えたら、たぶんきっと今世だけのやつじゃないなと、ピンときている。

誰かの役に立ちたいとか
社会の中で役割を果たしたいとか

わたしの生きるのベースはいつもそこにあって、自分のことは置いてけぼりだった。何世紀にも及んで積み重ねられてきた「罪悪感」が、「誰かの役に立ちたい」というベースをつくってきたのかもしれんよなあ

それに良いも悪いもないけれど、今んとこそれベースで行動すると、いつも自分が疲弊して自分の反省ばっかになってボキッと折れる。

わたしはいつも
何かトラブルがあると「きっと何か自分が悪かったから見つめなおして自分を修正しなきゃ」になる。ただでさえ日常が自己反省と自分への叱咤激励ばかりしてるから、誰か事情をよくわかってない人にお前はだめだ的なこと言われると耐えられんくらい自分を自分でよりけなす。

自分のハートを開こうにも
溜まってるものが膨大すぎて、途方に暮れそうだ。でもやるしかない。
もう誰かの役に立ちたいって思わなくて良くて、
罪を償おうとしなくても良くて、
何世代もを経て溜めてきたこれらを、一生かけて今世でとかしてゆくことだけに集中して良いのかもしれない。
それにはたくさんのめいっぱいの自分癒しが必要。

春分を前にして
新しい人生の生き方がまた少しみえてきたよな気がしてる。

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