心理的安全性について考えてみた。
半期に1回の全社集会で心に残っている言葉がある。
「【本人を目の前にして言えないことは裏では言わない】が【表でも裏でも言わない】になっていないか?」
という問い。
この半期は心理的安全性の高いチームつくりを目指しましょうという場面でのセリフ。
あるかも…
相手の様子をうかがって口に出さなかったり、どういう言い回しをしたらいいんだろう?って考えているうちに時間が経過し、もう言わなくていっかーってなること。
あるわ…。
自分の考えていることは口に出すことができるのだが、相手の考えや行動に対して口をはさむのは苦手なところがある。
心理的安全性について、理解していたようで理解していなかったんだなと思った。
そこで、心理的安全性、ファシリテーション、チーミング…
チームつくりに関しての本を多めに読んだこの1か月。
今のチームで最高の価値にたどり着くにはどうしたら良いのだろうか?と思ったからだ。
本を読む中で、浮かぶ問い。
心理的安全性が高いから、チームのことが好きなのか?
チームのことが好きだから、心理的安全性が高いのか?
著書の中では、心理的安全性は個人間の安心感ではなく集団にもたらされる心理的現象・概念、とある。
別に、個人のチームに対する好き嫌いが心理的安全性の実現に影響するわけではなく、必要な要件を満たしていったら自然と心理的安全性が高まるよね。だから好きとか嫌いとか関係ないんだよ。と、頭では解釈した。
けど、今の私の気持ちとしては、
今のチームが好きだから、チームで最高の価値にたどりつくためのことをしたい→それには心理的安全性の実現が必要なのかも→それなら勉強してどうやったら実現できるか考えてみよう。
っていう流れ。好きが先にきてしまっている。
別にそれでも良いじゃんと思いつつ、そういうことじゃないんじゃない?というもやもや。
今のチームだけのことを考えると好きが根底にあっても良いのかもしれないけど、今後所属するチームが様々変化していったときに、うまくいかなくなるときがくる。
そうか!!再現性ある心理的安全性の実現とは何か?を考えたら、チームへの満足度は後からくるもの。心理的安全性が実現された結果、このチーム良いなってなることはあるかもしれないが、即席のチームで価値を出す際、好きかどうかとか後回しだよな。
おお。これは自分的にはしっくりくるかも。
という理解をすると、私は再現性高い心理的安全性の実現のためのキーパーソンになりたい気がするぞ…。隠れファシリみたいな。どういった発言・行動がチームに良い結果をもたらすことができるのか。仲良しこよしではなく、お互いを刺激して高め合うチームをつくることができるのか。この人がいたら、なんかうまい方向に進むよな?みたいな人。
なんそれ、めっちゃかっこよすぎでしょ…。
そのためにはやっぱり、様々な経験と出会いの機会に出向くしかないな。いろんな人に出会って、色んな性格のパターンを知り、こういうタイプの人にはこういう発言をしたら良いかもとか、こういう場面でとる手段はこれだ!とか。自分の中の選択のレパートリーを増やす。
挑戦して振り返る。その繰り返し。
とりあえずやってみるのもだけど、なぜやるのかを考える。
毎回ここの答えに落ち着くけど、それって進化してないってことなのか?でもそこにたどり着くまでの思考は変わっていると思う。
だめだ、これは新しくもやもやが発生するやつ
相変わらずふわふわしているなー、自分…
とりあえず、自分の中の整理はついた気がするのでここまでにしよう。
これ以上すると、逆に迷宮入りしそう。
------------
心理的安全性とは何かを勉強して、会社のバリューが「心理的安全性の実現」をどれだけ意識してつくられたのかが伝わってきた。
バリューの体現がチームの成果にどれだけつながるかということが、前より理解が深まった気がする。
経営層の「ガチさ」が改めて伝わり、それに応えたいという気持ちと、入社してみて、日常の業務がある中で体制を変化させることの大変さや難しさも感じる今日この頃。
でも、組織の変遷の中に身を置けていることは本当によかったなと思う。自分にできることは何か?どうしたらいいんだろう?って考えるのは楽しい。
上期ももう半分が過ぎようとしている。早すぎーーー…。
なんか月に一度、有志でのふりかえり会というか学びの共有会とか開催してみようかな。
いつのまにか時間が経ってるのやめたい…
着地点見つからないのでここらへんで終わろう◎
2月も頑張るぞーーーー!!!
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?