チバ氏逝去に寄せて

チバが死んだ、らしい。
昨夜は、朝起きたら「昨日のことは嘘だった、ただの悪い夢だった」と、世界が覆っていますようにと祈りながら眠りについたが、目が覚めても昨日の続きだった。
結局役立たずの神さま。何も救ってくれない。

このことに関して誰とも話していない。
チバユウスケ狂の親友にも連絡できずにいる。普段なら何かあればすぐに連絡する仲だけど、今は何を言っていいかもわからない。だって「大丈夫?」なんて聞いたところで、大丈夫なわけないことなんてわかりきっているし、「つらいね」と言ったって「つらいね」としか返ってこないだろう。

昨日は何も手につかず、地下鉄に乗っても外を歩いてもぼろぼろ涙がこぼれてきてどうしようもなかった。マスクで隠した。冬でよかった。それに小雨も降っていたし。誰も私の涙には気づいてなかったから、助かった。

チバが死んだってのに変わらず平然と世界は回り続けているし、全てが無情に思えて許せなかった。なんで世界は止まらないんだ!そんな簡単にご冥福なんて祈れるかよ!って。
でもそんなことを言っていたって仕方ないってこともわかってる。私ひとり立ち止まっていても、地球は回ってる。
愛で塗りつぶさなきゃってことも、わかってる。

でもこの行き場のない思いをどうしていいかわからず、書くことで処理しようと思う。

そうだ、まずみなさんにお礼を言わないと。
前回の記事で、乳がんの件を公表させていただいた後、たくさんの反響をいただいた。温かいお言葉や励ましのメッセージ、何より発信することへの賛同や応援をいただけたことが本当に嬉しかった。
(あれからすぐに更新できなかったのは反省だが)これから改めて発信をしていきます。

たまたま流れてきたXの投稿で「癌はその人のプレッシャーが1番キツかったところに出るんだよ。そしてそこはその人の幸せと苦悩が1番詰まってるところだ。だから癌になったことないヤツが簡単に癌を裁くなよ」とおっしゃっている方がいた。
それを目にして、わんわん泣いた。(泣いてばっかりだな)

私は自分のガンがわかった時、受け入れることができずに何もかもを否定した。
でも現実と向き合ううちに、そうじゃない、これは私が肯定すべきことなんだと気づいた。
手術をする前、私は何度も自分の胸に手を当てて「教えてくれてありがとう。今まで気づかなくてごめんね」と話しかけた。(あ、なんか急にスピリチュアルな人になってますか?お気になさらず!でもこれ真面目な話だから!)
自分が今まで長らく女性性を否定してひいては自分自身を否定していたことへの悲痛な叫びと訴えなんだと気づけた。だからとても感謝して、愛をもって手放した。

チバさんがご自身の病気をどのように受け入れどのように闘ったかはわからない。
想像を絶するものがそこにはあったと思う。
だけど、チバさんが愛したタバコや酒を否定するのは違うと思う。

チバさんが病気のことを公表したのが、4月24日。はっきりと覚えている。
私はその日、東京へTHE1975のライブを見に行く道中の新幹線の中でニュースを見た。私は4月28日に検査の結果を聞きに行くことになっていた。精密検査を受けたのは4月13日。2週間後(4/28)に結果が出ることになっていたのだが、実は1週間後(4/20)に病院から電話があり「検査結果が早めに出たので、すぐに来れないか?」と言われたのだった。その電話口の様子で「あぁそうなんだな」とわかった。予定が詰まっていて早めに検査結果を聞きに行くことができない旨を伝え「それってつまり、悪い知らせってことですよね?」と尋ねると、先生に「これからのことはきちんとお話してサポートしますので大丈夫ですよ」と返された。電話口では告知できないようでそれが先生の精一杯の返しだったんだろうけど、私はそこで全てを察した。つまり、4月20日から28日までは私は全く生きた心地がしないまま日々を送っていた。毎秒「どうかガンでありませんように」と祈りながら生活していた。THE1975を観に行ったのも、どうにか普段通りの私でいたかったから。
ここまで長くなったが、つまり私はそんな心境の中、チバのガン公表を知ったわけだ。
その時の心強さといったらなかった。光が差し込んだようだった。(語弊がないように伝わってほしいが、不謹慎に聞こえたらすみません)「チバと同じ!なら大丈夫だ!チバと一緒ならがんばれる!ロックスターと一緒だ!私もチバとおんなじなんだ!」と。
そこからは”チバとおそろい”が私の中で自分を励ます文句みたいになって、心の支えだった。
だから私は勝手にチバに感謝している。寂しくなかったから。怖くなかったから。チバも今闘っている、ということが、どれだけ私の力になっていたか。

いつか会えたらありがとうございますを絶対に伝えたいと思っていた。密かに抱いていたインタビューの夢も叶わないままになってしまった。そんなことより、もうライブで会えないということがつらくて受け入れられない。
でももし歌えなくても、どうか生きててくれたらそれでいい、とも思ってた。それなのにそれすらも、なぜ。やっぱりダメだ、まだ信じられない。認めたくない。
あぁなんか矛盾したことばかり書いてる気がする。

私はラッキーなことに早期発見でステージも浅く、ご覧のように今はピンピンしている。だから私にチバの闘病を語る資格はない。でもわかる。
チバらしく闘い抜いたんだ、ということは。
だから、認めないといけないよな。
あぁまた矛盾したこと言ってる気がする。

最後に、本文中でここまで尊敬と愛を込めて、一部チバ呼び(敬称略)させていただきました。ご了承ください。

チバユウスケさん、最後まで生きてくれてありがとうございます。
あなたの音楽に出会えたこと、ほんとうにほんとうに感謝しかないです。

愛で塗りつぶします。


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