ぶどう色の、おばあさんの痰

高齢になると噎せやすいとかモチが詰まるとかいいますが、高齢者にとって、水や食事が間違えて気管に入って喉のあたりからゼロゼロ音がするのは本当によくあることで、病院ではそういった患者さんがいると、掃除機の先にチューブをつけたような機械で口や鼻から異物を吸引します。大抵の患者さんは喉の奥に管を突っ込まれる苦しさあまり、私達を容赦なくひっぱたくので、時々患者さんの手がこちらの顔に命中します。痛いです。ひっぱたく元気のない患者さんだけが黙って耐えています。

いつだったか、90代の女性患者である佐藤さん(仮名)が入院しました。数年前から寝たきりで、とても穏やかな娘さん夫婦がずっと家で介護をしていて、家では食事もしていたのですが、食べ物が気管に入ってしまったと思われる、誤嚥性肺炎になっていました。

肺炎は数日で治まったものの、元々寝たきりな上、重度の認知症で話すこともできない佐藤さんは、だんだんと1日の中で起きている時間が短くなり、飲み込みやすいようにとろみをつけた食事すら気管に入るようになり、食事を前にしても口を開かなくなり、衰弱していき、病院でお看取りする方針に決まりました。

そんなある日娘さんが、佐藤さんは果物が好きなのだと、オレンジを持ってきました。当然ながら、佐藤さんはオレンジを食べられるような状況ではありません。私がそれをやんわりと伝えると娘さんは、それまでの穏やかさが一瞬で消えてしまったかのように

「食べられないって!それじゃ死んじゃうじゃない!病院のもの何も食べてないんでしょう!?死んじゃうじゃない!」

と、私を怒鳴りつけました。その声を聞きつけたベテラン看護師の先輩が驚いて病室にきて、毅然とした口調で、食べられないものは食べられないのだと伝えました。

娘さんが渋々了承されたので、私と先輩は部屋を出ました。

15分ほどして私が改めて病室へ伺うと、娘さんは、持参したのだという紫色のブドウゼリーを手にしていました。

「看護師さん、見てください。私が声をかけたら口を開けてくれたんです。1/3も食べられたんですよ」

そう言う娘さんは本当に嬉しそうでした。私は一瞬凍りつきましたが、娘さんが続ける話に、さらに言葉を失いました。

「看護師さん、さっきはごめんなさい。母が長くないのは分かってるんだけど…。この人、今はこんなんだけど、昔はね、戦争を生き延びて、教師だったのよ。女性なのに。モガ、モダンガールってやつ。私の兄弟が亡くなった時も強くいて。

いつか母とお別れするって覚悟してたはずなのに、だめね。受け入れられない。私ももう歳なのに。ずっと一緒に居たからかしら、やっぱり生きていて欲しいなって思ってるの」

私に語っているようで、娘さんのひとりごとのようでもあるその話はあまりに切実で、だんだんと涙声でかすれてしまって。それでも、「生きていて欲しい」という言葉は、大切な人への愛おしさと、それを失いゆく恐怖に溢れていました。

一通りお話された後、娘さんは「聴いてくれてありがとう」と帰っていきました。

そして私は、娘さんが病棟を降りたのを確認した直後に佐藤さんの部屋に駆け戻り、気管の中身を吸引すると、大量の、ブドウ色の痰が、というかほぼゼリーそのままがずるずると引けました。痰を溜めるビンのなかも、みるみるうちに紫色になりました。

そしてその3日後、佐藤さんはすうっと息を引き取りました。

佐藤さんにとっての最後の食事は、娘さんの手から与えられたものでした。

佐藤さんが亡くなった日に私は休みだったのですが、次の出勤日、私のロッカーには「『木村さんに良くしていただきました。よろしくお伝えください』と佐藤さんの娘さんがおっしゃっていました。嬉しいですね」と、先輩からのメモが貼ってありました。

私があの時、ゼリーを食べさせた直後に吸引していれば、佐藤さんはあと数日長く生きられたかもしれない。ゼリーが気管に入って何分も放置されて、きっと佐藤さんはとても苦しかっただろう。吸引されるのだって苦しいのに。でも、それを目の前で見たら娘さんはどう思うだろう、食べてくれたと思っていたゼリーが実は息を止めようとしていたと知ったら、自分を責めはしないだろうか、愛する母の最期の時間を自分が苦しめたのだとこ思い続けながらこの先の人生を生きるのだろうか。

あの時どうすれば良かったのかなんて今でも分かりません。私は佐藤さんの数分の苦しみと数日の命よりも、娘さんがこの先の数十年の人生に後悔を持たずに生きていくことを優先したのだなと思うし、そんな選択をしなければならない看護師という仕事が恐くもあります。

残された命の長さなんて天秤にかけるべきものではないと知っているはずなのに、とっさに、娘さんの精神的な痛みを抑えることを選んでしまった私はいったい何様なんだろう。

この先看護師として生きていく中で、私は何度だって同じような場面に遭遇するのでしょう。どうか、あの娘さんがこの先の人生の中で「お母さんが亡くなったのは悲しかったけれど、いい最期だった」と思える日がくることを。

※個人情報保護のためエピソードは改変しています

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