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テスト投稿;三鷹跨線橋

令和5年12月4日 テストです

 ちかぢか解体されるというので、三鷹の跨線橋に行ってきた。三鷹駅の少し西、車両基地を跨ぐように掛かっている古い跨線橋だ。

 僕は三鷹駅の北口を出た。東京の冬は始まったばかりで、駅のロータリーの木々はまだ紅葉していた。北口駅前のバス停からは墓地行きのバスが出ていて、右手には花屋があり、髪の後ろの方を金髪にした若い女の店員さんが花の手入れをしていた。僕は玉川上水に沿ってしばらく歩き、中央線沿いの道に移ってもう少しあるき、跨線橋の袂まで歩いてきた。昔、母は僕をここに連れてきたことがあるらしいが、僕は憶えていない。跨線橋は鉄骨とコンクリートと古レールでできていて、至る所が錆びついていたものの丈夫そうだった。

 平日の午後だったけれど橋の上には何人も人がいて、父親が子供を連れてきていたり小さなお婆さんがとても大きなスケッチブックに絵を描いたりしていた。子連れの父が子供に話しかけていた。
「この橋は解体されちゃうんだよ、はいチーズ」子供はにっこり笑ってカメラに映りながら
「壊されて代わりができるの?」
父は「さあ、できないんじゃないかな、たしか」と答えた。僕はこの橋が壊されてそれっきり代わりはできないということを新聞記事で知っていた。

 中央線の電車が高架橋をかけ下って跨線橋の方へ走ってくる。跨線橋を潜ろうとする電車に親子が手を振ると運転手は警笛でそれに応えたようで、プワンという小気味良い音が午後の跨線橋の上に広がって消えた。

 僕は暫く橋の上をぶらぶらして、古レールを見つめたり遠くの山並みに知っている山を求めてみたりした。遮るものはなく富士山も見えたはずだが、靄がかって僕が訪ねたときは見えなかった。

 僕はこの跨線橋が太宰治の好んだ場所の一つだと知っている。なるほど、これくらいの高さからこの程度のものを見下ろすが、人にとって一番気持ちの良いことなのだろうな、と思った。もうすることがなくなってしまって、何枚か写真を撮ってからゆっくりと橋を降りた。

 帰り際、リードをつけられた飼い犬がフェンスに掴まってじっと走る電車を眺めていた。その様子は太宰治の飼っていたような犬よりも、むしろ純粋無垢な子どもの方に似ているように思えた。

 僕はコートの前をかきあわせて再び三鷹駅へと戻る。冬は始まったばかりだ。

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