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奥多摩の中世城郭3 川野城山

 東京都の最深部、奥多摩に中世城郭遺構が多数存在することは余り知られていない。その多くは山深い処にあり、踏査に困難を伴うためである。また、遺構の中には奥多摩湖の湖底に沈んでしまったものさえある。ここ数年、数寄者を自認する筆者は奥多摩町の中世城郭遺構を何か所か踏査した。その知見を公開して研究の深化に期待したい。

 3つ目に紹介するのは川野城山である。川野城山は旧小河内村の川野集落に存在が伝承されていた山城で、多摩川に張り出す尾根上にあったとされる。安藤精一『奥多摩歴史散歩』に詳細な記述があり、それによると曲輪などが遺っていたそうだ。

 現在、川野城山は奥多摩湖の湖底に沈んでいるが、『奥多摩歴史散歩』によると、興味深いことに、渇水時に水位が25mほど下がると曲輪が見えるようになるらしい。筆者は先日、奥多摩湖が渇水しているというのを聞いて、様子を見に行ってきた。その時の写真が【写真1】である。この日の小河内ダムの貯水率は66.6%であった。

【写真1】奥多摩周遊道路の香蘭橋より川野城山を望む

写真1の画面中央、湖に突き出している岬状の尾根が川野城山のあったとされる尾根だ。
なんと、水に浸かってはいるものの堀切のような地形が確認できる。奥多摩周遊道路から尾根に取り付いて湖面の方へ尾根伝いに降っていき、より近づいて写真を取ったのが【写真2】である。

【写真2】尾根づたいに接近を試る

先端部まで行きたかったのだが、なかなか切り立った尾根である上、掴まることのできる木の根がないのがなかなか恐ろしく、自分が土左衛門になっているところがちらついてしまい途中で引っ返した。最も接近して撮影したのが【写真3】である。

【写真3】川野城山接写
写真で見る以上に岩稜が怖い

 やはり、堀切状の地形が認められる。
 また、城山の尾根の東隣りの尾根にも、普段水上に姿を現さない平地が出現していた。

【写真4】左:川野城山 右:東隣りの尾根

東隣りの尾根の平地には石積みが残っている。ピンときた。湖底に沈んだ川野集落の熊野神社の址である。なにかの郷土史で見た覚えがある。熊野神社跡の平地からも川野城山の水面上の部分を望めた。

【写真5】川野城山を東から望む

さて、湖上に突如姿を現したこの山であるが、遺構の評価としては堀切と考えてよいのではないかという気がする。山の鞍部とかんがえるには少し不自然な地形である。今後、周辺での聞き取り調査などもおこなってみたいものだ。それから、さらなる渇水を待ちたい。

【写真6】奥多摩湖対岸の現川野集落から
川野城山を望む


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