第1次AIブームと現在の歴史的相似

数年前から、とある大学でゲストスピーカーを務めています。毎年12月あたりになると2〜3回、学生の皆さんを前に90分間、お話をするのです。頼まれているテーマはAI(人工知能)。とは言っても文系学部向けの一般教養の授業ですので、専門的な踏み込んだ内容というよりは日常的な話題を取り込んだ「AIと社会」といった少しライトな内容になることを心がけてます。始めた頃は『シンギュラリティ』(技術的特異点)というバズワードがマスメディアで飛び交っていたこともあって、学生からは毎年「先生、このままAIが進化すると私たちは仕事を奪われるのですか?」と質問されてました。ChatGPTがブームになった今年は、学生諸君からはこの記事のタイトルのような質問が出てくるかも?…と言うことで、その準備も兼ねてこの記事を書いています。

そもそも『AI』という言葉は人の気持ちをザワつかせる響きをもっているのかも知れません。実際、最新の生成系AIを応用したこの技術の扱いについては既に推進派と慎重派がワールドワイドでの議論が巻き起こっているようです。国としてはAI推進派の発言が目立つ日本では、一般メディアでこの種の論争が存在すること自体を取り上げることが少ないように僕は感じるのですけども、欧米ではAIの法的規制について既に踏み込んだ議論が始まっているようでして、その中身は総務省のホームページで公開されている資料『EUのAI規則案の概要』で詳細に述べられています。この資料をまとめたのは法律の専門家なのですが、その当人である彼らも同業者が集まるシンポジウムでは『生成AIに関する法的論点Ⅰ: 高度専門職(弁護士等)への影響』といった自らの職務への影響を議論していることを考え合わせると、この問題、実は僕が想像しているよりも様々な側面を持った奥の深い問題なんだなぁ…と改めて感じ入っています。

確かにChatGPTが生成する文章は(法律の専門家が動揺するくらいに)自然で、コンピュータが生成したものとは思えないくらいです。こういう素晴らしい技術的成果が提示されると、僕のようなエンジニアはその可能性を追求したくなるのですが、社会全体で見ればそのように考える集団は明らかに少数派で、同じ成果を見て「そのうち僕の仕事もAIに奪われてしまうのかも?」などと漠然とした不安に感じる方々が大多数であることは否めないでしょう。ここに推進派と慎重派に分かれて論争が始まる原因があるように思いますし、そのテーマが専門的な技術論から、より一般的な社会的倫理の懸念へとすり替わってしまうのも道理でしょう。

同業者の仲間うちでは歴史オタクで知られる僕に言わせれば、このような対立の構図もまた『AI』というバズワードに付いて回って来たお約束だと理解して来ました。特に今年は年始以来のChatGPTのブレイクが近年でも稀に見る大騒ぎになったと感じてました…もっとも、そこは歴史オタクの僕だけに、この騒ぎの過程にはちょっとした既視感を感じてまして、単なる思い付きから次のような年表を書いてみました。

第1次AIブームと現在との歴史的相似

今でこそ頻繁に耳にする『AI』というバズワードが初めて登場したのはダートマスで学術会議が開催された1956年のことです。一方、現在のAI技術が一般に認知されるようになるキッカケを作ったディープラーニングが登場したのは2006年なんですが、50年間の開きのある両方の年を重ね合わせると、現在のブームは第1次AIブームと相似しているように見えて来ます。もちろん、各々の年代のトレンドには半世紀のタイムラグがありますので、上記の表に登場する個々の技術そのものにはなんの因果関係もありません。ですが、最先端技術に遭遇した時の社会のリアクションは思いの外よく似通っている…例えば1966年に元祖チャットボットのELIZAが登場したときも、今年のように大騒ぎになったんだろうなぁ…とひとり感慨にふけっていたのでした。(つづく)

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