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なぜ騙されてしまうのか?

「私って騙されやすい」、「すぐに人を信用しちゃう」「断れない性格なんです」

儲け話に乗ってしまう方や、押し売りに弱い方は世の中には必ずいます。

では、なぜそう言う感情になってしまうのか。追求していきましょう。

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それで少しでも被害に合わないように防衛策を持ちましょう!

人は一度好意・信頼を寄せた相手を疑うのにストレスを感じる

どんな人も、一旦相手を「いい人だ」と思ったり、またその人が魅力的で、自分に親切にしてくれると尚更、好意と信頼を寄せます。

「マズローの欲求5段階説」ではこの中で3番目に当たります。仲間が欲しい、共感しあいたいのは、人としてごく当然の欲求です。心から「そうだよね」「よくわかるよ」と言い合える人に出会うことは、生きていく上で大変重要な要素です。

自分はどんなに孤高の人間のつもりでも、誰かに自分をわかってもらいたい、共感し合いたい、愛し愛されたい、と潜在的に望み、そしてそれを得られると「快」を感じずにはいられません。

そして脳は、一旦感じた「快」を失うことに非常に抵抗します。

遠い関係性の人だったら、「あれはおかしい」とすぐ気づくことでも、好意と信頼を寄せた相手だと、見て見ぬふりをするか、「あの人のことだから、何か事情があるに違いない」と自分から歪曲しがちです。
そして、この関係性を崩すまいとしてしまいます。
時には「私が悪いことをしたかな?」と自分を責めてまで、その関係性を失うまいとします。
最終的に騙されていたことに気づくと、「可愛さ余って憎さ百倍」になるのは、この「快」を失うことに対するストレスが非常に大きいことを示しています。
それでは、「自分から騙される」3つのパターンを以下に見ていきましょう。


1.愛情と承認が不足しているほど、「優しくしてくれる人」に騙されやすい

人間の心理には「返報性の原理」があります。
好意を寄せられると、その相手に自然と好意を返そうとします。笑顔であいさつされると、こちらも自然と笑顔であいさつを返そうとするなど、人間関係の潤滑油にもなります。
しかし、この返報性の原理を悪用する人も少なくありません。

ナンパ師がその典型です。
ナンパ師がターゲットにするのは、アンジェリーナ・ジョリーのような、世界中のいい男からちやほやされることに慣れ切った、自信満々な女性ではありません。
自信なさげな、愛情と承認に飢えた女の子ほど格好のカモにされやすいです。それでいて、自分の虚栄心や支配欲を満たせる程度には、性的に魅力のある女の子を狙います。
ターゲットにした女の子を、ちやほやし、持ち上げ、有頂天にさせます。そこには真の愛はおろか、好意すら存在しません。

しかし、女の子の方は、常日頃愛情と承認に飢えていればいるほど、それを満たしてくれる(ように思える)相手に好意を感じずにはいられなくなります。

これがナンパということです。
また30年ほど前、豊田商事事件というお年寄りをターゲットにした詐欺事件がありました。
騙されたお年寄りの中には、豊田商事会長が、押し寄せたマスコミの前で刺殺され、大々的なニュースになってもなお、自分を騙した豊田商事の若手社員を

「あんないい子はいなかった。自分にこんなに親切に、優しくしてくれた若者はいなかった」
とかばう人もいました。

寂しいお年寄りの心の隙につけこむ悪質な行為ですが、つけこまれた方は中々その洗脳を解きにくいのです。

2.「善人願望」があると「善人を演じる人」に騙されやすい

自尊感情が低い状態とは、言葉を換えれば自己愛(ナルシシズム)が肥大化している状態です。
つまり「ほれぼれとする自分しか愛せない。自分を『いい人』だと思っておきたい。自分の中の怒り、恨み、憎しみを認めたくない」状態です。
どんな感情や反応もそのまま受け止めてくれた親に、育てられた人は他に代えられない宝を得ています。
しかしほとんどの場合、親自身がそう育ってはいないので、子供を「(親にとって都合の)いい子」に育てようとしてしまいがちです。
社会人になって責任ある立場になったり、子育てをしていくうちに、「憎まれ役を買わざるを得ない」経験を通して、自分の「善人願望」を少しずつでも脱することが出来ます。しかしこれもまた、人によりけりです。
大人になっても「いい人でいたい」という善人願望が抜けきれないと、厄介なことが起こります。
自分を「いい人」だと思っておきたい、これが「自分の周りはみんないい人だと思っておきたい」に転ずることがあります。
そうすると、「善人を演じる人」の格好のカモになってしまいます。
同調圧力の強い日本のような社会では、「いい人でいた方が、社会からはじき出されない」と知らず知らずのうちに思い込んでいることがあります。人間は社会的動物なので、「社会からはじき出される」と、どんなに一匹狼のつもりでも生きていけなくなります。どんな人も潜在的に「社会からはじき出されることの恐怖」を抱えていることでしょう。
美辞麗句(「人は素晴らしい」「苦しい時こそ生かされている」などのきれいごと)、SNSでの美談や人道的な記事のUPやシェア、これらは実は要注意です。こうした美辞麗句や美談を口にする人をいかにも「いい人」のように思ってしまう、そうした思考の罠が人間にはあります。だからこそ、言葉ではなく行動を見ることが重要です。
善人を演じる人に認められ、好意を持たれたと思うと、「私は善人だ。何故ならあのいい人に認められたから。そして善人の私は社会からはじき出されたりしない」と自分を無意識のうちに安心させてしまいかねません。そしてこのかりそめの安心感を一旦得ると、それを手放すのはそう容易ではありません。

3.自分を信じていないと「この人についていけば安心」の権威づけに騙されやすい

人は能力や経験の不足から来る自信のなさと、「等身大の自分でOK」と思えていない自信のなさを、混同していることがあります。

例えば私が、「セラピストをやめます!今日からお寿司屋さんになります!」と仮に決めたとして、「お寿司屋さんとしては自信が持てない」のは当然のことです。しかしそのことと、「私は私でいい」ということとは別のことです。

「私は私でいい」と思えるためには、自分が嘘偽りなく生きている実感が必要です。嘘をつかない、約束を守ることも勿論そうですが、より大切なことは言行一致していることです。即ち「言ったことはやる。やりもしないことは言わない」ことです。

嘘をつくと、他人を騙して自分はいい目をしているようですが、実は「自分はまがい物である」という暗示を自分に入れてしまいます。嘘をつくことそのものが、他人を傷つけるのみならず、自分への虐待になります。

そして嘘偽りなく生きている自分を、心から信じていないと、「権威のありそうな人」「自信たっぷりに振る舞っている人」に「この人についていけば安心」とすがってしまいたくなることがあります。
上から目線でお説教されるのは嫌なものですが、それをする人が後を絶たないのは、「自分は思考停止して、堂々と意見を言ってくれる人の後ろからついていきたい」と思う人も少なくないからでしょう。
こうした心の隙を、巧妙についてくる人も多いのです。


私たち人間は特別な訓練をしない限り、その見極めが非常に困難です。

「これって怪しくない?」「音信不通だけどどうすればいい?」

そう思われた方はまずご連絡ください。

あなたに明るい人生が来る事を願っています。