記事一覧
Let`s SYA・KYO・U
誰にだって写経の経験があるのじゃないでしょうか? フェイバリット・ブックをコソコソとノートに書き写した日々を思い出してみてください。僕はというと中学生の時はダ・パンプの「if…」の歌詞を。高校生の時はリリー・フランキーのエッセイを。大学生になったらハリー・ポッターのお気に入り箇所を。ノートに書き写していた(「if…」の歌詞は机に彫っていたんだった)。
「美女と野球」は初めて読んだリリーエッセイで
この屋根からジャンプできなきゃ腰抜けだった(小4)。
画像は実家の近くの公園で、小学生頃の溜まり場で、テトラポットのようなこの謎の物体の屋根から地面にジャンプできなきゃ腰抜け。笑い物だった。僕は屋根に座って足をぶらんとさせながら「今飛ぶ、今飛ぶ!」と3時間くらい粘って……、飛べたかどうかは覚えていない。補助輪外れたての自転車ボーイズはこんな挑戦に一夏をかけたりするものだった。
「……着地した瞬間後ろにズルッと倒れて頭ゴッチンするかもしれないな」
可能性のむこう側にいざなう幻の道先案内人は、いる (#1)
「わたしあの人の後を追っていたら、今頃どうなってたんだろう……?」
時折ぼんやり考えてしまうようなmeet&byeがある。
「運転手さんそのバスにボクも乗っけてくれないか」
心の中でそう絶叫しているのに、足がすくんでその場が過ぎてしまうことがある。
「これがもう奴との最後かもしれない」
去っていくリバー・フェニックスの後ろ姿を「Stand by me」の眼差しで見つめる、そんな直感的な啓
日本にいる限り、もしくは東京にいる限り、いまの(日本の)状況をただしく認識できないと思う。
批評とは? ①:点と点を線で結ぶ
批評とはなにか?
ボクなりの応えは「点と点を線で結ぶこと」となります。
無数の星が広がる夜空。その点と点を線で結んで絵を作ると星座ができる。ボクの批評に対するイメージはこれです。
これはさそり座。たしかにそう見える。節足動物らしい関節のニュアンス、フラットな目配置がさそりを想像させますねぇ〜。
じゃあこれは?
これは、ちょっとあまりに抽象度が……というか、未完成すぎないか…?というも
名のるとそう呼ばれる(寝ながら気づいた当たり前のこと)
みなさんはこの事実に気づいているのでしょうか?
名のるとそう呼ばれる。
ボクは高校生の頃からそのとこに気づいていた。
ぱんすとくっきんぐというバンドのメンバーだった。パートはドラム。いまも解散はしてないから、現・ぱんすとくっきんぐのDrである。
高校3年生のときにくまたくんと、むらせくんの3人で作ったはじめてのバンドで、ボクは顔が大きいからという理由でドラムをやることになった。
ちなみに