あの四月

大学が始まらない。
当然といえば当然だった。前月起こった未曾有の大震災の混乱はまだ落ち着いていない。入学式は会場が避難所となっているため中止になり、四月初めのガイダンスは後日実施するという連絡が入った。はっきりと覚えていないが、予定は半月か一か月近く後ろに倒れていたように思う。
ぴかぴかの大学一年生たる私は困っていた。することがないのである。することがないだけならまだよくて、この四月に上京したばかりの私は土地のことがなにもわからなかった。そして東京に知り合いはひとりもいない。
あの何もすることのなかった四月について、数年ぶりに思いを馳せてみる。

そもそも東京に来るつもりはなかった。第一志望の学校はまた別の都市にあったし、落ちたら地元の滑り止めへ行くはずだった。それが地方で出張入試をやってくれる学校の試験を「会場が近いから」と受けたら合格してしまったのだ。実力とは差のある学校だったのできっとまぐれだったのだと思う。その後順調に第一志望に落ち、親からしたら最悪だったと思うが、その関東の大学に進むことが決まった。東京もなにかと混乱していた時期で、住む部屋は内見もせず決めた。結果的にそこに四年間住んだ。引越を手伝ってくれた両親が帰っていった後、ひとりの部屋で「自由だ」ということを思ったのは今も思い出せる。強く。

表現として学生時代をモラトリアムと言ったりするけれど、あの四月に関しては合法的かつ本物のモラトリアムが現れたなという趣だった。
たったひとり東京に放たれた私はとりあえず家事を覚え始める。まず洗濯機の回し方を覚え、おそるおそる肉を焼きパスタを茹でた。まめにクイックルをかけないとすぐ床に髪の毛が落ちている。それすらも発見だった。
過干渉ぎみの家族の元で育った私にとっては自分で自分のことを為せる環境は手に入れがたい幸福だった。あの時期のわりに不安は薄く、自由を手にした喜びの方が断然勝っていたように思う。

あれだけ土地勘がない場所でどうやって生きていたのかよく思い出せない。
当時持っていた携帯はガラケーで、地図アプリなどのない時代だった。とりあえず最寄駅までの道を覚え、駅前商店街の道を覚え、最寄りのコンビニを覚え、スーパーを覚え…とアナログな方法で生活の地図を脳内に作っていった気がする。まだ行ったことのない大学は自宅から数駅のところにあるということだけは頭に叩き込んだ。節電要請で街は薄暗く、いつも行くスーパーのエスカレーターは止められていた。
何かの用で一度新宿まで出た。新宿駅で電車の線路が多いのに驚いた。人が多いのも驚いた。どこまで行っても街が終わらないのにも驚いた。漱石の『三四郎』に東京がどこまで行ってもなくならないので驚いた的な一節があったと思うが、まさにあの感覚だった。まだ若かったので人に道を聞くなんて恥ずかしくてとてもできなくて、何かうろうろして帰ったような記憶がある。東京人はおっかないという刷り込みもあった。何年か過ごした結果、繁華街や治安の悪い場所、かつ特段まずい人でさえなければ大体の人は親切であることを学ぶことになる。素直に聞くのが一番早かった。

やることのない時間をどう過ごしていただろうか。元々インドアタイプなのでひとりでいること自体はそれほど苦ではなく、暇つぶしはネットの海でなんとかしていたように思う。当時YouTubeはカスだったので黄金時代の雰囲気が残るニコ動なんかに入り浸っていた。
外へ出ることもあった。といってもどこへ行っていいかわからないため、近所をふらつく程度に留まった。家の裏手に大きな公園があり、たまに散歩をした。最寄りのコンビニへ行くまでの道には庚申塚がある。緑だとか古いものだとか意外なものがあって、東京ってコンクリートジャングルだけで構成されているわけではないんだということを知った。
暇なのでいろいろなことを考えた。何にも所属していない宙ぶらりんの身でひとり東京にいる。この街の誰も私を知らないというのは自分にとってはとても息がしやすかった。さみしいでもたのしいでもなく、プレーンな状態でここに立っている。ネガティブでもポジティブでもない調子で、シンプルに友達できんのかなということをよく考えた。

しばらく時間が経ち、大学は無事に始まった。友達は普通にできた。遅れて始まった学生生活は平穏に進み、いつしかそんな日々に慣れ、成績は低空飛行ながら順当に卒業を迎えた。
自宅と最寄駅の周囲に留まっていた脳内地図は大学を覚え、役所を覚え、新宿や渋谷を覚え、バイト先を覚え、遊びに行った先を覚えた。東京にはけして終わりがなく、様々な出会いがあり、思い出があった。
その鮮やかさに比べると、たったひとりでスーパーとインターネットを行き来していたあの四月は、今振り返っても地味すぎるくらい地味だ。でもたまに思い出す。特に辛くなった時に。あの日々は不安なのに地に足はついていて、停滞していながら不思議と爽やかだった。だからこそ思い出す。すべてが始まる前、なにもかもまっさらな、あの何もすることのなかった四月を。

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