見出し画像

行ったことのない駅に行く/三河東郷駅

行ったことのない駅に行くシリーズ。近場の愛知県内を対象としています。


行き先

愛知県の駅名ルーレットがなかったので自作した。初回は全国版のツールをお借りしていたが、今後はこれを使っていこうと思う。
このツールもボタンを押すと愛知県内のどこかの駅をひとつ表示してくれるので、回した後は大人しく出た駅へ向かう。結果は…

新城市にある飯田線「三河東郷駅」。尾張民の私にとって三河は隣国である。境川の向こうだ。要するに遠い。若干のテンションの低下を観測しつつ、託宣にしたがい三河東郷の地へ向かった。

三河東郷駅

豊橋から飯田線を乗り継いで数駅。新城市の中心部を過ぎ奥三河の山に入る手前あたりに三河東郷駅は位置していた。1面2線ホームの小さな無人駅だ。改札はないが、トイレや公衆電話などは揃っている。休憩室には本が並べられていた。1時間に1,2本ペースで列車が来る。

駅前には県道439号線が通る。道路沿いに郵便局があった。都市だろうと田舎だろうと僻地だろうと、郵便局があるとなんだか安心してしまう。商店らしい建物もいくつかあったが、やっているのかはよくわからなかった。看板や案内図が出ている通り、このあたりは長篠の戦いの古戦場らしい。

戦国時代は詳しくないけれど、せっかくなのでちょっと調べた。
長篠の戦いは織田・徳川の連合軍と武田軍の争い。近隣の長篠城を巡っていざこざがあり、両軍の決戦がこの三河東郷駅の位置する設楽原で行われた。勝ったのは連合軍で、武田軍は多くの将兵を失う結果に。
設楽原も広く、総大将がいるようなメインの陣が置かれたのは駅の北側。歴史資料館などのある方だ。こちらを訪れることも考えたが、歩くと少し距離がある。今回は駅の南側にある勝楽寺の周辺を見て回ることにした。

勝楽寺は木々に囲まれた敷地にある立派なお寺だった(写真を忘れた)。戦場の南端となるこの周辺では、武田軍の山県昌景隊と徳川軍の大久保忠世・忠佐兄弟の隊がぶつかり、激戦地となったらしい。いまは田んぼが広がっていてのどかすぎるくらいのどかだ。アオサギが行き交い穏やかな時間が流れている。

一応「勝楽寺前激戦地」の石碑があった

お寺のほかに神社もあった。創建ははっきりしないとのことだが、かなり古くからある巴神社である。参拝して田んぼの中を駅まで戻ってきた。

道の駅もっくる新城

歩くとお腹がすく。三河東郷駅には自販機がなかったため、水分補給もしたい。駅から15分ほど歩いたところに「道の駅もっくる新城」があったので、お昼を食べて帰ることにした。
辿り着いたもっくる新城は小綺麗な施設で、案内所・売店・食堂があり、小さいながらドッグランも併設されている。新城は鶏の生産をしているらしく、食堂のメニューは鶏肉や山の幸が中心。猪を使ったししラーメンというのがあったのでそれにする。さっぱり醤油味でおいしかった。

売店も賑わっている。軽食、パン、地元野菜、お土産などいろいろあって楽しい。私が行ったときは結構混んでいてレジも並ぶほど賑やかだった。
個人的に見ていて面白いなと思った商品は「馬防柵さつまいもスティック」。馬防柵というのは戦場で騎馬隊を防ぐため立てた柵のことで、さつまいもスティックをその柵の丸太に見立てたお土産だ。箱に刺して遊べるらしい。デザインもかわいく、美味しくて楽しそうな雰囲気。今回買えなかったのだが、次は絶対購入したい。

いろいろ眺めた末、自分へのお土産には「決戦の刻」というお米を選んだ。今日歩いた東郷地域で育ったお米が売っていたのだ。古戦場にちなんで「決戦の時の勝負飯として!」というコンセプトらしく、きちんと鳳来山東照宮で祈祷までされている。個人的に勝負の機会はしばらくなさそうだが、飢える動物である以上はお腹がすく。歴史を感じながらそのうち食べてみることにしたい。

感想

・「夏草や兵どもが夢の跡」そのままの世界だった。
・三河の山はなぜか黒く見えた。この山々に囲まれて農業をしていたらそれは質実剛健になるだろうということを思った。
・設楽原決戦の日はグレゴリオ暦に直すと7月9日らしい。わりと近い日付の日に行った。450年前もこんな風に蒸し暑く、雨が降ったり降らなかったりしていたかもしれない。地形は変わっていないと思うので、山並みは当時の人と同じものを見ている。
・田んぼを見て終わりかなと思っていたらかなりきちんと観光できて満足。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?